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まだ何色でもない君へ


※実際は縦書きです。webで読みやすいよう内容は変えずに加工しています。

 ザァと一際強く風が吹く。皆が目を瞑り髪や服の裾を押さえ風が収まるのをじっと待った。渓谷はたまにこのような風が巻き起こる。
 幾度となくこの地を訪れた面々にとって何も驚くことなどない事象だった。
 だから、何気なく瞼を元通りの位置まで戻して目にしたものを中々理解できなかったかったことは無理もない話だ。
 そうしてまた、強い風が吹いた。
 しかしそれによって目を閉ざすものは、もういない。
 奔放に視界に舞う己の髪などないかのように食い入るようにその先を見つめ、視界の情報がじわじわと頭の中に受け止められていく。
 目の前に突如現れたのはずっとずっと探していたのに、どうしても見つけ出すことのできなかったものだ。目にしているものがとても信じられなかった。
 最初に動いた者が言う。どうしてここに、と。
 皆近付けなかった。動揺している中でも冷静な部分が引き留めるのだ。
 どういうことだと。何が起きたのかと。
 現れた者は皆の気持ちを心得たように、ふわりと笑んだ。

「悲しまなくて、いいんだ。俺は悲しくない」

 風になびく長い髪は渓谷の暗さを打ち消すように揺れる。
 声も仕草も穏やかで言葉通りの心情であることが伺えた。
 なんと呼べばいいのかというかすれた問いに小さく笑う。

「みんなの呼びやすい方でいい。俺にはどっちも大切な名前だから。どっちでも俺は俺が呼ばれていると認識できる」

 気を遣わなくていいんだと、本当に自分だと思う方、呼ばれたい方はどちらかという問いに、あ、と小さく声をあげて慌てたように手を振る。

「あぁ、そういうことか。言ってねぇからな、わかるはずないよな。俺はどっちでもないんだ」

 意味を掴みかねたため、誰もその言葉に返事ができずただ固まる。いや一名だけは静かに緑の目を見ていた。

「どっちでもあってどちらでもないが正しいかな。俺は二人が思いあったことの結晶みたいなものだから」

 呻いたのは誰だっただろう。もしかすると全員かもしれなかった。

「本当に、悲しまなくていいんだ。どんな形であれ俺は約束を果たしたよ」

 髪が風になびき、腰の剣を露わにする。それは左利きの彼がそうであったように地面と平行だった。
 月明りを反射して鈍く光るそれは、目の前の人物たちと同じく失われたはずのローレライの鍵だ。あまりに現実的でない光景の中で見知った物質がこれは現実だと訴えかけてくる。
 彼は帰ってきたのだ。


「よう。久しぶり」

 一か月前にも顔を見せた人物がひょこりと現れて挨拶された方が苦笑した。

「この間キムラスカで会ったところだろう?」
「ここで会うのは数年ぶりさ。ふぅん。こっちではそうやって過ごしているわけか」
「ここではな。その方が周りも戸惑わないみたいだから」

 話しかけたことがいいきっかけだと言わんばかりにペンから手を離し書類の束をとんとんと揃え机の右端に寄せる。

「それならここではアッシュと呼ぼうか?」
「お前がそう思うならそれでいいさ、ガイ」

 椅子に座ったままぐっと両腕を伸ばすその姿からは今のやりとりについて何のこだわりもないことがありありとわかる。

「お前はそういうけど、呼び名っていうのは難しいもんなんだぜ」
「そう言われてもな……」

 困ったように笑うその表情。それはルークを……レプリカとして生を受けたルークを彷彿とさせる。しかし彼は本当の意味でルークではない。

「悩むなら、まったく違う名で呼んでくれてもいいんだぜ。あいつみたいに」
「おや、私の話ですか。困りますねぇ、与り知らないところで一体何を言われていることやら」

 ガイの後ろからごく自然に現れ軽口を叩くのはジェイドだ。まさかジェイドまで来ているとは思わなかったため驚く。椅子から立ち上がるとかたりと小さな音がした。

「ジェイドまで? 何かあったのか?」
「何かなければここへ来てはいけないのですか? ローレライ」
「悪いってことはないけど……ジェイドはそんな暇ないだろ」

 ローレライと呼ばれても何ら特別な反応もなく至極当然のように会話を続ける。
 その様子を見ながら、ガイは毎度のことながらなんともいえない気持ちを持て余すのだった。

(本当に……ルークはこれで良かったのか?)

 地上で再び出会えた日そう聞いた時に、いいんだと目の前の彼は朗らかに笑った。

「俺は、えっとルークだった俺のことな? みんなに帰るって約束したしアッシュにも生きて帰るっていう約束をさせた。俺は生きたかったし、同じくらいアッシュにも生きて欲しかったんだ。だから、ルークはこれで良かったって思ってるよ」

 自分のことを話しているようで、少し他人事のような不思議な言い回しだった。
 だったら、アッシュはどうなんだ、と追加で問うてみる。

「もちろんそれでいいと思ってる。アッシュである俺は自分に先がないことを知ってはいたけど受け入れられていた訳じゃない……。ルークと戦って存在を認めたからにはその先を見つめたかった。そのためには両方生きていないと意味がない」

 確かに会話をしているというのに頭が混乱しそうだった。ひとりの人物から二人の考えを聞くものの、それは同一人物なのだ。訳が分からなかった。
 話をちゃんと聞き、整理していくと彼は確かにルークだった。
 しかし、間違いなくアッシュでもある。
 二人分の記憶を有し、それぞれの経験をしっかりと覚えている。体は彼によると混じり合っているらしい。そして問題の自我はというと。

「ルークでもあり、アッシュでもある。……どっちかって聞かれると、どちらでもないと答えるしかない。新しい人格……とは違うんだけど、表現が難しいな……」

 三人分の自我があるわけではないため、彼は首を捻った。
 本人は現在の状況に納得し、不満など抱いていない。ならば周囲もそう飲み込むしかないのだ。そうして現在の彼はキムラスカ・ランバルディア王国とローレライ教団を行き来しそれぞれの仕事をこなしている。
 王族に連なる者が、二つの顔を持つことに眉を顰めるものがいることは確かだが面と向かって物申すほどの強心臓の持ち主は今のところいなかった。
 世界を周った仲間以外は。

「そろそろどちらかに身を落ち着ける頃合いではないですか」
「落ち着いてないから、両方に顔を出しているんだろうが! 特に教団は帰ってきてみれば上層部がごっそりいなくなったことで混沌とした状態だ。元六神将として責任は果たす。で? 本当に何しにきたんだよ?」

 噛みつくように返事をして、疲れたとばかりに赤い髪を左右に揺らす。

「まぁ落ち着くつもりがない、そんな所でしょうね。何をしに? ローレライに会いたいがためにきたとは考えられないのですか? 悲しいですね」
「……あり得なさすぎる……。あと本当にジェイドはぶれないな」
「呼び名のことですか? 公の場ではルーク、と呼んで差し上げているのですから感謝していただきたいくらいですよ」

 ジェイドは一貫して彼のことを呼ぶ際にルークとも、ましてアッシュとも言わないのだ。あくまで呼び名を選ばすというのであればローレライだ、と言って本人に憚ることなくそう口にし実際にそう呼んでいる。
 もちろん、彼は第七音素集合体ではない。その存在は今や空高く昇っている。ルークではなくアッシュでないと言うのならば、同じような存在、同位体であるローレライの名を借りるというのだ。

「俺はいいんだよ。別に。周りがびっくりするというかさ、誤解を生みそうだ……」
「はは、まぁな。しかもここはローレライ教団だ。ジェイドここでは譲ってやれよ」

 ローレライ教団、そして神託の盾騎士団は教義が抜本的に覆ったことで様々な派閥争いが起きている。そこにさらにローレライと呼ばれる存在がいると知られれば新たな勢力を生み出しかねないのだ。

「それはもちろん。無駄な争いの種を撒くつもりはありませんから。そうそう、今回来たのはまさに起こりそうな争いを鎮めるために兵を派遣するので、教団に事前報告に来たのですよ」

 そういうことは先に言え、と文句を吐きながら彼は立ち上がった。暫定的に教団をまとめているトリトハイムの所へ行く必要ができたからだ。
 ジェイドとガイが言うにはこうだ。
 セントビナー付近でレプリカを売買目的に集めている集団がいるらしい。情報の精度は高く憶測ではなく十中八九間違いがないのだと言う。
 そのためマルクトは兵を出すのだ。本来であれば自国内の兵派遣は何ら問題ない。
 しかし、レプリカに関することは世界的に共有する情報になっている。逆に言えば、それぞれが不審な動きをしていないか監視し合っている、とも言えるのだ。
 レプリカに関する取りまとめはローレライ教団が担っている。後々面倒なことにしないためわざわざマルクト帝国の使者として二人は来たのだ。ローレライ教団の許可を取り付けたジェイドとガイに同行する形で彼もダアトを発ったのだった。

「教団での仕事は良かったのか?」

 森の中を先行して進む道すがらガイは静かに彼に問いかけた。

「レプリカに関することも俺の任務の一つだ。ダアト付近なら俺が片を付けている」
「それは特務師団とは関係ないよな?」
「そうだ。それにもう俺は特務師団長じゃない。特務師団に全く関わっていないとは言わないけどな。レプリカ関連の方が仕事は多いな。だから付いてきた」
「ふぅん……その部分はルークの気持ちが強く出ているのかな」
「どうかな。アッシュである俺もレプリカとは約束した。知っているだろう」

 レムの塔でのできごとだなと頷いている内に目標の小屋の屋根がちらと見えた。
 ここからは会話はしない。ジェイドの譜術を皮切りに、ガイと彼が突入し混乱させたところで控えさせていたマルクト兵により包囲した。
 いっそ鮮やかといえるくらいに集団は拿捕されレプリカ達は保護された。首謀者の引き渡しそして何よりレプリカの手当てのため一行はセントビナーへと向かい、事前通知で準備を進めていたグレン・マクガヴァン将軍へと引き渡した。
 これで役目は終了だ。それぞれ帰路へ着こうとしたが、老マクガヴァンにより引き留められる。

「一晩くらい休んでいきなされ。まったく、ジェイド坊やはせっかちでいかん」
「マクガヴァン元帥……」
「いつまでも元帥と呼ぶなと言うのに。部屋なら用意させてある。帰城は明日じゃ。良いな」

 押しに負ける形ではあったが特に急いでいないこともありジェイドは受諾した。
 地上に戻ってセントビナーに立ち寄るのは初めてだった。夜にふらりと外へ出てみる。静かな夜だ。穏やかな風が腕を撫でていき自然と息が漏れる。

「いい夜だな……」

 一度崩落してしまったセントビナーだが、人々の努力によりかつての様子を取り戻しつつある。魔界の泥に沈まなかったからこそ今があると思うと目の奥がつんとした。

(アクゼリュスは浮かぶほどの形を残せていなかった。もし、もしもセントビナーのように一帯が落ちていればしばらく浮かんでいられたのに。いやこんなの俺が言えたようなことじゃない。わかってる……わかってるけど)

 粉々にしてしまったのは紛れもなく自分なのだ。前に進む気持ちはもちろんあるが過去のことを無かったことにするつもりは毛頭ない。息をゆっくり吸って吐く。緩慢な動きで上を見上げた。

(ああ、星が良く見える。きれいだな。昼の方が音譜帯は見えるけど……。ん、あれソイルの木か? また立派になったような気がする)

 視界に大きな木が入って自然にそちらに足を向ける。悠々と葉を広げる木はどっしりしており、風に枝を遊ばせている。さやさやとした音が耳をくすぐった。

「おや、眠れませんかな」

 驚いて振り向くと老マクガヴァンが居た。

「お……驚きました。どうなさったのですか?」
「散歩じゃ、というのは白々しいですな。レプリカの様子を見に行った帰りですな」

 夜も更けたこんな時間にと思ったそれが顔に出ていたらしい。くすりと笑われた。

「なんだかんだとわしもレプリカに関わることが増えています。生まれて間もないレプリカの相手は何人いても足りないことはないでしょう?」
「それはそうですが……まさかマクガヴァンさんが直接その役を……?」

 夜の空気を震わせるように静かに老マクガヴァンは笑う。

「わしは退役した軍人。悠々自適の引退生活ですのでな。時間はいくらでも」

 村の代表市民を務めているのだから引退とは言わないのでは、と頭を過る(よぎ)が言っても無駄なのだろうと思ったので曖昧に微笑むにとどめた。

「レプリカ達は徐々に個性が芽生えてくる。その様は眩しいくらいですな。これからの可能性を感じさせて年甲斐もなく胸が躍るというものよ。そう……だからこそお前さんが気になる」

「俺が半分レプリカだからですか?」

 混ざり混ざった自分の状態を半分レプリカ、と表現することは正しいとは思わないが今ここでそのことについて論議するつもりはない。
 しかし彼の予想に反して老マクガヴァンは首を振った。

「お前さんがレプリカかどうかということは関係ない。これからを担う者として見ておるよ。貴殿はまだ透明だ。どんな色になるのか楽しみですな」

 透明という言葉を向けられたのは初めてで戸惑って目を瞬く。

「こんな鮮やかな色を持っているのに透明……?」
「見た目の色と中身は違う。二人が一人になって、お前さんはある意味生まれたてということじゃの。これからどんな色になるのか楽しみにしておるよ」

 そう言い置いて去っていく後ろ姿を見送りしばらく立ち竦んでいたが、夜も随分と深いことに気付いて急いで部屋に戻りベッドへ潜り込んだ。
 そして彼は夢を見た。
 あぁ、これは夢だ、と認識できるそんな夢を。
 妙に視界が高く斜め下にセントビナーが一望できる。ふわりと浮かんでいるようだった。不思議なことだが夢だからか 疑問を覚えることはない。
 そういうものなのだろうと思うだけだ。
 だから、目に映るものもごく自然なことのように受け入れられる。
 家々の明かりが落ちた道をきょろきょろ見回し、足取り軽くソイルの木へ向かうのはルークだ。目当ての木が見えたようで闇も深いというのに迷うことなく駆け出した。到着してくるりと振り向いて手招きしている。早く来い、とその口が動いていたが声は聞こえない。
 この夢には音がないようだ。
 ルークが手招きする方向にはゆっくり歩くアッシュがいる。急かされたことなど意に介していないそんな歩みだった。だが、目的の場所はルークと同じなのだろう。まっすぐそちらへ向かっていく。
 焦れたルークが木から背を離してアッシュに近付いて一言二言話している。そして指差すさきはソイルの木のてっぺんだ。あきれたようなアッシュの顔から察するに木登りがしたいとでも言ったのだろう。
 そうだ、ルークはよくファブレ邸に居る時、木の上へ登っていた。
 あぁ、懐かしいな。今度、久しぶりに登ってみようか……。
 眠りからゆっくりと浮上しながら、ゆったりした気持ちでそんなことを思った。





2019.8.25 発行