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鳥籠にさようなら 52


「……なん、だ?」

避難民の名前や人数を纏めていたアッシュはふと額で手を当てた。頭の中がざわつくような不思議な感覚を覚えたような気がする。その様子を視界の隅に捉えたジェイドが書類から視線を動かした。

(呼ばれた? 気のせいか?)
「アル、どうしました?」
「ジェイド……。いや、なんか……ルルの声、が……」

物理的に聴覚で捕らえたものではないことはアッシュ自身わかっていたため尻すぼみの声になる。現実的なジェイドのことだから、呆れるなり笑い飛ばすなりするだろうと思ったが意外にもそうはならなかった。

「自分にだけ聞こえた。そのような感じがしますか」
「そ、そうだ。だが今はもう聞こえねぇ。頭に直接入ってくるような、いや自分自身の思考の声のような不思議なものだった」

ジェイドの眉がぴくりと動き、書類をとんとんと揃え席を立つ素振りを見せる。まだ処理は終わっていない。それを差し置いてどこかへ行こうとするジェイドにアッシュは驚いた。

「ルルのところへ行きます。貴方も来なさい」

有無を言わせない声色で促されアッシュもまた席を立ったのだった。ルークが休んでいることはジェイドも知っている。しかしなぜルークが臥せっているかの理由は言っていない。

「ルルは疲れから休んでいるのだと思っていましたが。どうやら違うようですね」
「疲れもあるだろう。だが……多分、負担が大きかったんだ」
「使うなと、あれほど言ったものを」

何を、と示さなくともすでにジェイドは理解していたようだった。軍が接収した家に付きルークに割り当てられた部屋に入る。入室してもベッドの膨らみは動くことはなく深い眠りについていることが知れた。ジェイドはルークの額に触れ小さく声を掛けてみたがやはり寝息のままだ。上掛けを足元にまとめ、装着したままの剣帯を外した。

「……やはり、か」

ジェイドは剣帯に取り付けた響律符を眼前に低い声を零した。無言で差し出されたアッシュは反射で受け取りそれを見遣る。イオンが詠み、ジェイドが譜を刻んだ響律符に大きくひびが走っていた。

「な……響律符が壊れた?」
ハッとしたアッシュは自分が装着しているものを確認した。しかしそれは普段通り何の変わりもない。

「どういうことだ?」
「負荷がかかりすぎた。現象としてはただそれだけです。二度説明する気はありません。ルルが起きたらアルにも話します。今日は貴方も休みなさい」

訳がわからないと思いつつもアッシュの疲労は限界に近付いていたため了承したのだった。
翌日、ルークは多少めまいを覚えてはいたが問題なく起きることができた。避難作業で忙しい中であるはずなのに、ジェイドは腰を据えて話す素振りを見せる。ルークは自分達も皆を手伝った方が良いのではないかと言ったが頑としてジェイドは譲らなかった。

「ここで話をすることが無駄だとは思いません。周囲の状況は確かに慌ただしい。しかし、状況の分析や兵の手配を差し置いてでも貴方達には知らなければならないことがあります」

そう言ってジェイドは机の上にルークの響律符を静かに置いた。

「あれ、それおれの? なんでジェイドが? ……割れてる! どうして!」


不思議そうに手に取ったルークの顔がみるみる驚きへと染まっていく。ルークにとっては思い入れのあるものだ。それが壊れてしまったとあっては当然といえば当然だった。

「割れた理由は、その響律符の許容値を超えたからです。しかし壊れたからには原因がある。ルル、覚えがあるはずですね?」

じっと赤い目に射抜かれてルークはこくりと唾を飲んだ。思い当たることなどないなんて見え透いた嘘など通用しないのだと考えるまでもなかった。今までジェイドに厳しく言い含められていたのだ。軽々しく超振動を使うなと。

「ジェイド……おれ……ア、アクゼリュスで……超振動、使った」
「ルルだけじゃない。俺も使った。そうするしかなかった」

ジェイドが口を開くことを遮るようにしてアッシュが声を出した。それを少し面白そうに見たジェイドだったが、すっと真顔に戻り言う。

「あまり使用してはならないと重々理解した上で超振動を使ったことを責めるつもりはありません。それ相応の理由があったと思っていますよ。ですがなぜそうなったのかまだ聞いていませんね。説明を」

今の今までそのことを話す時間を取ることはできなかったのだ。ヴァンがパッセージリングに施していたものとその状況、それを打開するために使ったのだと二人は事細かに語った。ジェイドは何点か詳しい説明を求め、それに答えていく。

「……わかりました。ヴァン、さすがに放っておけない行動に出始めましたね。パッセージリングのことはティアにもう少し聞く必要がありそうだ」

考えるように腕を組み視線を横に流すジェイドをじっと見ていたルークだったが、唐突に目線が合い、ひっと震えてしまった。

「貴方に怯えられるのは久々ですねぇ。怒られると思っているんですね? ご期待に沿って差し上げましょうか?」
「や……やっぱり怒ってるの……?」
「さぁ、どうでしょう」

綺麗な笑顔で判断に困る返事をされルークは眉尻を下げた。もう怒るなら一思いにそうしてくれという心境だ。視線がだんだんと落ち机を見つめる。

「こちらを見なさい」

覚悟を決めてのろのろと視線を戻す。しかし目にしたのは怒りの表情などではなかった。怒りも嘆きも、何の感情すら、その顔にはないように見える。でもルークはわかってしまった。今、ジェイドの中では様々な感情が混ざっているのだ。その中で、恐らく一番大きいのは……。

「ごめん。ごめんなさい」
「私は怒ってはいません。さきほど責めるつもりはないと言いました」

肩を竦めるジェイドに、そうじゃない、と、ぶんぶんと激しく首を振った。

「ジェイドを悲しませるつもりはなかった。だから、ごめん」

おや、とジェイドが眼鏡を押し上げる。

「悲しそうに見えますか」
「見えないよ。全然顔はそう見えない。でもそれくらい、わかるよ」

アッシュはこのやりとりに口を挟むでもなく見ていた。正直言うと今ルークが言うようにジェイドが悲しんでいるようにはまったく見えない。しかしルークがそういうからにはジェイドの中にそういう感情があるのだ。意外という言葉は浮かばない。最初の頃はともかく今、自分達の関係は深まっている。
数瞬の間のあと、はぁ、と溜息を落としたのはジェイドだ。

「悲しい……悲しんでいるのですか? 私は」
「みたいだよ」
「そうですか。それではそうなのでしょう」

ジェイドはたまに、自身の感情に名を付けることができないようだと気付いたのはいつだっただろう。ピオニーにそれを恐る恐る言ってみたら驚きながら気付いたことを褒められたことを思い出す。ジェイド自身その自覚はあるがどうにもならないのだと聞いた。それからこうやってジェイドの中の感情を気にするようになったのだ。

「こうなったからには言っておかなければなりません。大爆発という現象について」
「それがジェイドを悲しませるのか?」
「そのようですね。ですが今は私の感情など気にするのはやめなさい。まずルルの響律符が壊れたこと、これはフォンスロットがアルへ向かって開いてしまったと考えるのが妥当です」

アッシュが眉間に力を込めた。昨夜のルークの声が聞こえたことに関係あると悟ったのだ。ジェイドの指がこつりと壊れた響律符を叩く。

「これに刻んだ譜は『音素拡散抑制』。アルのものは『音素吸収抑制』です」
「えっ! そうだったのか? 譜術使う時、全然気付かなかった……」
「譜術には関係しません。ルルのレプリカ構成、アルの人体構成に働きかけるものですから。あぁ、ついでに攻撃力防御力強化譜も刻んであります」

ついでが強力すぎる、とルークは乾いた笑いを漏らした。ジェイドが言うには響律符で抑え込んでいたルークの音素拡散量が超振動を使用したことによって桁外れに増えてしまい、負荷を越え壊れたのだろうということだった。

「昨日、アルはルルの声が聞こえたそうですよ。頭の中でね」
「えぇっ? そうなのか? アル!」
「あ、あぁ……。それで俺に向かってフォンスロットが開くとどうなるんだ」
「実際の所、実例がありません。何しろこの現象は完全同位体でしか起こり得ないのです。通常の被験者とレプリカでは起こらない。まったく同じ存在であるからこその現象。理論上ではお互いの意識が混ざる。現状、声として認識しているそれのことでしょう」

アッシュはなんとなくルークに向けて音素を辿るようにしてみた。途端ルークが呻き頭を抱え机に額を付けんばかりに苦しみだした。

「いっ、いた……うぁっ」
「ルル!」

アッシュはすぐにやめた。今アッシュがしたことによってルークに負担がかかることは間違いなかった。椅子から落ちてしまうのではないかと不安を覚え隣に座るルークの両肩を掴む。しばらくするとルークは顔を起こした。一瞬のことだというのに薄く汗をかいている。

「すっげぇ……痛い……。頭が割れそうだった」
「すまない」
「こんなになるなんて知らなかったもん。謝らなくていいよ。……でも、うん。確かにアルの声……声? なんていうのかな、考え? みたいなのを感じた」
「ふむ……。やはり開いてしまっていることは確定ですか。しかし完全に道ができたかどうかが検査してみないとわかりませんね。アルの響律符を見せてください」

受け取ったものを一通り見てすぐに返した。

「やはりこちらには何も影響が見られない。ルルのものは壊れてしまいましたが、一定の役目は果たしたようですね。ここでは大した検査もできない。急いでここの事態を鎮めてグランコクマへ戻ります。忙しくなりますよ、覚悟してください」

宣言通りジェイドは鬼のように動き出し周りのものは泡を吹きながら走り回ることになったのだった。
あらかたの処理を終え、折を見て後任に残処理を託し、フリングス少将ともどもグランコクマへ戻るとピオニーは心からの笑顔を見せたが、それはすぐに鳴りを潜め低い声を出した。キムラスカから昨日、戦争も辞さないという報せがあったのだという。あまりに予想外の言葉に誰一人すぐに返事をすることはできなかった。






2019.6.30