靴裏が踏みしめる地面はさらさらと逃げていき、体重をかければかけるほど形を変えていく。歩きやすいとはお世辞にもいえないが、ルークは浮つく気持ちそのままに水辺へ歩を進めた。
「お前、ここ好きなのか?」
振り向きもしない背中に向かって話しかけるが、すぐに返事もなく動きもない。
肩を竦めつつ、そばに立っている木に軽く背を付ける。砂嵐や風に耐えてきたその木はしっかりと地面に根を張っているが幹はしなやかで、ルークの重みを受けてほんの少ししなった。
「好きも嫌いもねぇ。なんならザオ遺跡を指定してやってもよかったんだがな」
「このオアシスに呼び出されるの二回目だぜ? 気に入ってる場所かと思うだろ」
アッシュはそういえばそうだったなと思いつつ水辺から離れていく。水面を滑った風がアッシュの髪を煽り、遅れてルークの短い髪がささやかに揺れた。
「まぁ、夜に呼び出されるとは思わなかったけどさ」
仲間と一緒でなく一人で来いという指定とこの場所はまるでそぐわない。現に仲間たちは反対したしそれを説得したルークは待ち合わせする前にすでに疲労を感じていた。
「それで、いきなりどうしたんだよ。回線じゃダメな用事なんだろ」
近付いてきたアッシュに話しかけるが返事がない。ただただじっと見られる。それこそ頭の先から足の先まで。
「な……なに……」
あまりにじっと見られて居てもたってもいられずに木から背を離す。
「宝珠はどうした」
(あ、なんだ、どこに持っているか見ていただけか……)
ほっとするような残念なような不思議な気持ちがルークの中に現れ、さらにそれに対して戸惑った。
(残念ってなんだよ?)
「聞いてんのか」
「えっ! あっ聞いてる聞いてる! 宝珠な! 元通り音素に混ぜてあるから見えないけど、俺の中にある」
「チッ……ふざけるなっ!!」
突然舌打ちされたルークは驚き次いでじわじわと腹の奥から怒りが湧いてきた。こんな時間に呼び出された上に本当のこと言ってカリカリ怒られてはたまったものではない。
「ふざけてねぇし。本当だっつの」
最初は上手くできなかったことは否めない。だが、コンタミネーション現象だと聞いて無くさないいい方法だと思い頑張ってジェイドに教えて貰ったのだ。
これ以上アッシュに呆れられるのは、嫌だったから。
「なんなら出してやるから待ってろ」
そう言って目をとじて、むむむ、と集中しだしたルークをアッシュはすぐに止めた。
「……いい。危なっかしいからやめろ。俺が確かめてやる」
確かめるとはどうやって、と問いかけようとするルークの目の前でアッシュは剣を抜いた。ローレライの剣だ。まさか斬り掛かって確かめる気なのか? と、ひやりとしたルークだったがアッシュは詠唱するように剣を持って止まった。
するとどこからともなく仄かな灯りが見えルークはきょろきょろと周りを見たが、確認するまでもなく湖と木以外の物は近くにない。まさか地面か、と思って降ろした視線に入ったのはふわりとした光を放つ自分の腹だ。え、と驚いて腕を見るとそこも仄かに光っている。
「……え。なにこれ」
「ふん、本当のようだな」
アッシュが剣を戻すとルークの光もまた無くなった。途端にルークの心臓がうるさいくらいの鼓動を打ち出してしまう。
「……今、俺……光ってなかった……?」
ルークは思ったのだ。乖離の一部かと。今のルークの体は何が起こっても不思議ではないのだと聞いている。レプリカが消える時は光を放つのだ。……イオンのように。
ぎゅう、と左手で胸元を掴む。想定よりも持たないのではないか、しかもアッシュに見られた、という思考がぐるぐると回って頼りない地面がさらに不安定なものに感じて落ち着かない。
「……レプリカ、落ち着け」
「だっ……て、光るなん、て……俺」
ぐっとアッシュに肩を掴まれたが、顔を見るなんてとてもできない。
「お前、何を怖がっている? 今光ったのは俺がローレライの剣を通して宝珠を呼んだからだ。場所がわからねぇ時ならいざ知らずお前の中にあると分かっていれば難しいことじゃねぇ」
「え……」
そうなのか、と吐息に混ぜるような声がルークから落ちた。
ただ一度沈んだ表情はそのままだ。アッシュは肩を掴んでいた手を離してルークの顔を固定した。
「お前、体調悪いのか」
「…………」
「意識がかき乱されることがあるか?」
意味が掴めずルークはしばし固まった。意識がかき乱されるとはどういうことをいうのだろうと思ったのだ。思いの他近くに位置するアッシュの顔、その目をじっと見る。
(アッシュ……ここまで近いって珍しい。いやレムの塔の方が近かったか?)
しかしあれは力の行使という理由があったし倒れた際の距離は不可抗力に近い。お互いの意識がはっきりとしていて、なおかつ戦う他でこんなに近いのは、とそこまで考えたルークの頭の中が突然爆発しそうになった。
「うぁ、あ、あ」
「な、なんだ」
「今」
「今?」
「今やばい」
意識という意識が弾け飛びそうだ。意識だけではなく体の温度もぐんぐん上がってきている気がする。周囲が暗いため気付きにくいが、あまりの変化にアッシュもようやくルークが今現在物凄く動揺していることに気付いた。
すっと手を離してやるとルークが代わりのように自分の手を同じ場所にあてる。はぁ、と息を吐いたルークがアッシュを見て、その目が語るものが全てだ。
「……俺が、聞いたのは、そういうことじゃなかったんだが」
「そういうことって何……ってか今何を確かめたんだよ」
赤面しながら言う台詞とは思えない言葉だったが、ルークはどうやら心底不思議がっているようだ。
「バカだバカだとは思っていたが、ここまでか?」
「なっにがだよ!?」
「お前は鈍感すぎるんだ」
はぁ? と高い声を上げるルークを無視して、アッシュは建物に向かってゆっくり足を進めぼうっと立っているルークを呼ぶ。そもそもここに呼び出した段階で、このオアシスに宿泊することは確定事項だ。たった一人で砂漠越えなど、訓練を受けていないルークには難しい。それを分かっているからそれについてルークが何かを言うことはなかった。
宿の扉は砂を噛み、スムーズとは言えない音を立てる。
「なぁアッシュ? 借りた部屋本当にここであってるのか?」
「はぁ?」
室内に入ってまで何を言うのかと訝ったアッシュだったが、あぁ、と遅れて納得した。
「ここには一人部屋はねぇ。そもそも砂漠越えを一人でするやつがいねぇ」
「へぇ……そうだったんだ。でも、なんか、嬉しいな」
そうはにかむルークを見て今度はアッシュの頭が爆発しそうになった。
「こ、この劣化レプリカ! 勘違いするなよ!? 変な意味じゃないからな!?」
「変な意味?」
そこを気にすんじゃねぇ、とアッシュの声が響きルークが耳を押さえる。だがその表情はさきほどまでとは違い、どこか楽しそうだ。
にこにこと笑いながら、荷物を置き、その中からここで過ごすためのものを取り出し、パっとアッシュに向き直る。一貫性があるようでない行動はまるでこどものようだ。
「なんか、いいな。アッシュと行動できたら、こういうのもできるんだ」
「一緒になんて行かねぇぞ」
「……強情」
再度アッシュに怒られたルークはタオルを引っ掴んで逃げるようにバスルームへ駆け込んだ。
狭い宿だ。シャワーの音や、やたら機嫌のいいルークの鼻歌までがアッシュの耳に届く。
「一緒に行動できたら、か……」
そうしたら、こんなよくわからないことで上機嫌になるルークや、突然怒りだしたり機嫌を損ねたりするルークを見ることになる。
悪くない、と思った。だが、だめだ。
それは掴みたくとも掴めない未来の話。今、掴もうと思えばこの手に容易く落ちる。だが、それは一瞬で終わるのだ。
それによって傷つくのは誰か。それはルークだけだとアッシュは俯く。
終わりは近い。そのすぐそこにある未来、その瞬間までルークの存在は感じていたいが、共に在ればあるほど苦しみが増すのが目に見えている。
「お前の居ない未来に意味はない……が、そもそも俺に先がないんじゃどうしようもねぇ」
だから、現状維持だ、とアッシュはベッドに勢いよく仰向けに転がった。
小さな窓からぽっかりと浮かぶ月が見えた。なぜだが先ほどアッシュが仕掛けてルークが淡く光ったことを思い出す。なぜ月を見てそれを思い出したのか、と眉根を寄せたが、すぐに理由に思い至った。
(月は太陽を反射しているんだったな。さっきのものは反射とは違うが、似た現象ではあるか。こんな弱った俺の力でも反応を返すとは)
焔を映すことができる、もう一つの焔。それはただただ反射するだけのものではないのだと最近嫌と言う程味わっている。それを面白くないと感じる自分と、そうでなくてはと思う自分との板挟みだ。
ついぎゅっと瞑ってしまっていた瞼を持ち上げる。そこには変わらず柔らかで暖かい光を放つものがあった。
「月が綺麗だな」