※実際は縦書きです。webで読みやすいよう内容は変えずに加工しています。
【不可避の現実】
「もう限界だ。アッシュを見たくない」
「はっ! 奇遇だな、俺もだ。レプリカ」
一定の距離を開けて、ルークはアッシュを真っ直ぐ見て言い放ち、それの答えにはすぐさま同意が返る。二人共に表情が消え去ったかのようにその顔には何も浮かんでいなかったが、そのまま数逡視線を合わせたあと、ほぼ同時に笑みを乗せた。
「もう話しかけんなよ」
「その言葉そっくり返す。じゃあな」
「あぁ。じゃあな!」
何子供のような馬鹿らしいことをしているのかと仲間達は溜息と苦笑いでもってこのやり取りを少し離れた位置から眺めていた。ルークのことだから、頭が冷えたら謝り倒すなりして元に戻ろうとするだろうし、それを受けてアッシュも結局は折れて元通りになるだろうと考えた。
だから、誰も気にしなかったのだ。この始まりを。
「まぁ、アッシュ! しばらくぶりですわね」
ケセドニアでばったり出会ったアッシュは突然出会ったにも関わらず、いつも通り淡々と情報を伝えさっさと立ち去って行く。なにかあっけない、と皆感じたが用事があるのだろうとしか思わなかった。
そしてあっけないと感じたことすらすぐ忘れ去ったのだ。
次はカイツールで顔を合わせた。ガイが驚きに目を見開きながら軽く手を上げる。
「よう! 神出鬼没だな、アッシュ」
「御託はいい。さっさと得た情報を寄越せ」
「なーに、その言い方ぁ。感じわっるーい」
「まぁ、私達が貰う情報の方が確かに多いのだけれど……」
ひとしきり情報交換すると足早に立ち去りナタリアは残念がった。ガイも流石に首を捻る。
「最近アッシュのやついつも忙しないなぁ……」
「余裕ないよねぇ。長生きしなさそー! 生き急いじゃってる感じぃ」
何気無いアニスの言葉に、それは酷い、と言いながらも皆笑いさざめき、茶化し話に興じるその間、ルークの反応は誰も見ていなかった。
そのルークに異変が起きたのはケテルブルクだった。ガイとの買い出しでぼんやりと歩いていたルークは突然身体を強張らせ歩みを止めたのだ。
「ルーク?」
すぐ後ろの雪を踏みしめる音が止まったことを不思議に思ったガイが振り返ると、ルークは怯えるように左前方を見ながら後退っていく。そこには取り立てて何もないというのにルークの目は何かを見つめていた。
「そんな。知ってたら……来なかった、のに」
「ルーク?」
「もう……いや、嫌だ……!」
明らかに様子のおかしくなったことに驚愕したガイは小走りで近寄ったが、それすらルークの意識にはひっかからない。
「おい! ルーク! どうしたんだ!」
「あ、あ、なんで!」
ガイが肩を揺さぶってもルークは心ここにあらずという有様で恐慌状態から引き戻すことはできない。
今触れているのがガイだということすら認識していないのか、その手を振り払ってルークは来た道を走って戻り目に入った細い路地に飛び込んでさらにめちゃくちゃに駆け抜けた。
そして行き止まりの小さな路地に入り込んだことでようやく足を止め、壁に背を付けそのまま蹲った。
震えが止まらない。もっと遠くに行くべきだと思うのに、体は言うことを全く聞いてくれず、抱えた膝に顔を押し付けることしかできることはなかった。
ガイの手は掴むべきものを失ったことで宙を彷徨ってしまう。追いかけなければ、と思うのに尋常の様子ではなかったルークをどう宥めればいいのか分からない。
しかし何か原因があるはずだ。まずはそれをはっきりさせなければ。
ルークが怯えた方向に何かある気がして、そちらへ向かったのは単なる勘だったが目にしたものを認めて、あぁ、と息が漏れた。
心を出来るだけ落ち着かせ歩み寄る。気を抜けばルークに何をしたと殴りかかりそうだったからなのだが、近づくとそんな気は吹っ飛んだ。ルークと同じではないが分かる。視線の先の相手もルーク程でないにしても動揺している。それを隠しているだけで。
声をかけるといつものアッシュからは考えられないほど緩慢な動きでガイを見た。驚きも険しさもなくただ何かを耐えているように見受けられガイは内心唸った。
(あぁ。なんだよ。何が、あったっていうんだ)
ガイはアッシュから街の入り口近くに宿をとっているということを聞き出し、そこに連れて行くと申し出た。嫌そうなそぶりを見せたが体調が悪いんだろうと指摘すると否定せず押し黙りそれ以上何も言わない。
(ますますもっておかしいじゃないか)
とりあえずいつもの俊敏さの欠片もないアッシュを放っておく訳にもいかないので、宿の部屋に押し込む。次はルークだ。混乱したあいつは何をしでかすかわからない。
アッシュはこちらを見ようとしないので、表情は伺えない。一声かけて出て行こうと右手を少し持ち上げた所でふいにアッシュがガイを見た。中途半端に上がっているその手を見て、躊躇った末、口を開こうとした、のだが。
「……っ」
「アッシュ?」
アッシュがふらつき、右手で額を押さえたのだ。それはルークが回線で苦しむ様子を酷く似ている。
(なぜだ。負担がかかるのはルークだけのはずじゃないのか?)
しかしそれだけではなくアッシュの体が淡く光っておりガイの顔は驚きに染まる。
「くっ……また……」
頭に右手を添えたアッシュが慎重に立ち上がって深く息をつくのを、ガイは心配げに見守る。手を伸ばすことはアッシュの意に沿わないだろうと態度でわかるためぐっと堪えた。おもむろにアッシュは、ケテルブルグにはいつまでいるんだと問うた。
ガイはまさか今そんなことを聞かれると思わなかったため、反応が少し遅れてしまう。
今回のケテルブルク滞在目的は、ジェイドの妹であるネフリーに依頼していたセフィロト観測結果の受け取りだ。だが、既にその用事は済んでいる。今日の滞在は休憩をかねているので明日には発つはずだとそう答えた。
「そうか。わかった」
短い返事のあと、アッシュは荷物をまとめ出したためガイは訳がわかず戸惑う。今日は本当に訳のわからないことばかりだ。
「おい……? まさか、お前、今から移動するつもりか?」
「お前らがこの街にいるのであれば、そうするしかねぇからな」
わかるように言ってくれ、と叫びそうになるが、アッシュの様子は顔色が悪いことを差し引いても切迫している。内心の叫びはかなりの努力を持って飲み込んだ。
「待て、それなら俺たちが移動する。アッシュはここで休んでおけよ」
「遠慮する。俺が動く方が早い」
ぐっとガイは詰まった。それはそうだ。束の間の休息で、思い思いの時間を過ごしている全員を集めて理由を説明し移動するのにはどうしても時間がかかる。
だが、なぜ? 何なんだ?
その隠しきれない思いが顔に出たのだろう。アッシュがちらっとガイを見て珍しく小さく笑った。
「もう、俺とあいつは長い時間近くにいられねぇ。こうするしかないんだよ」
アッシュとルークが会話したのは、あの喧嘩別れの時が最後のはずだというのに、アッシュからは微塵も険悪さを感じない。仲違いした訳ではないということか、とガイは認識を改めた。
「アッシュ。ルークと何があったっていうんだ」
「あったんじゃない。これから起こっちまうんだ。否が応でも、な。先延ばしにしているだけだ。俺はもう行く。後はあいつに聞け」
そう言い置いてアッシュは部屋の鍵をガイに手渡し去って行く。
引き止めたい気持ちは山々だったが、拒否されるであろうことが容易に想像できてしまい実行には移すことはできなかった。
「ここで、ルークに話を聞けってことか? あー、あいつ探さないとな……」
鍵を握り込み一人呟く。混乱したルークがどこにいるか思考を巡らし、街の地図を頭に思い浮かべながらガイもまた宿を出た。
宿の主人に一声掛けて部屋の使用者が変わることを伝えたが何の頓着もなく構わないとだけ返事があった。流石観光地ケテルブルク。様々な事情を持つ客の相手は手慣れたものだ。
小さな路地の奥で座り込んでいるルークを見つけた時、ぼんやりとしてはいたが、もう混乱状態ではなかったためガイはほんの少し安心し息を吐いた。ガイをそろりと見上げるルークの顔は暗い。
「探したぞ、ルーク」
「ガイ……わりぃ……」
さんざん探したあげくまた逃げられてはたまらないので、ガイはルークの手を引いて立たせそのまま歩き出す。手を引かれるまま大人しく付いて行くルークは、自分のことなのにまるで人ごとのようにまだ完全に気持ちが戻っていないようだな思っていた。
街中でガイに手を引かれるなど、普段なら恥ずかしくてとてもじゃないけれど、できない。
だが今は振り払う気にもならないし、むしろ安心していた。
ここ最近揺らいでいた心は、今日の出来事と、ケテルブルグの冷たさに拍車をかけられたためか凍て付きそうだ。とても、寒い。
ガイは何も言わず、アッシュの取っていた宿にルークを連れていった。
宿につくやいなやガイはルークを風呂に押し込んだ。ルークの手は氷のように冷たく、そして歯の根も合っていない。冷え切っていることが一目瞭然だった。
自分達が取った宿ではないことに戸惑ったルークは、疑問の気持ちを込めてガイを見たが、とりあえず温まってこいとしか言われなかったので怪訝に思いつつもその通りにした。
「ガイ、上がった」
「ああ。冷えないようにしろよ」
うん、と頷いて備え付けられていた毛布を肩から羽織るようにして座って、じっとガイを見ると飲み物が差し出されたので受け取る。
「お前が走ってどっか行ったあとアッシュに会ったよ」
ルークはそうだろう思っていたので特に驚かず、そっか、と短く返事をしてからカップを傾け一口飲み、再びガイを見た。ガイもまたルークを見て、少し視線を下げる。
ルークの手にあるカップを見ながら穏やかに、自分自身が見たアッシュに起こった現象と会話した内容を伝える。
「この部屋をとっていたアッシュはもう行っちまった。詳しいことはお前に聞けとだけ言ってな」
「……それ、丸投げじゃん。なぁ? ずりぃの……」
あまり見たくはないなと思いながらガイは視線をルークの顔に移す。泣けばいいのに、その顔は泣いていなかった。
昔よく見た泣くことを我慢している、そんな表情。
想像通りの様子にガイが泣きたくなった。
(以降34Pまでが「不可避の現実」)
【いちにち交替ときどき続く】
アッシュとルークの朝の挨拶は大まかに二種類に区分できる。
「おはよう、アッシュ」
「おはよう」
これが一つ目。もう一つは少し長くなる。
「……はよ〜。アッシュ」
「おはよう。髪を直せ」
前者は短い髪の朝、後者は長い髪の朝に交わされ、今日は後者の挨拶を行ったところだ。ルークとアッシュの寝室は続き部屋になっていて、ドア一枚で行き来できる気軽さも手伝い、どちらか一方のベッドで朝を迎えることは珍しくなかった。
ルークはぼんやりとしながら上半身を起こし眠気を覚ますようにゆるゆると頭を左右に振る。その拍子に長い髪が流れてベッドの上でさらりと揺れた。
「今日は、んーと、長い日か」
ルークはそう自身を見下ろしぽろりと言葉を零した。そうしてアッシュに向かって、
「ん」
と両手を伸ばす。すでにベッドから降りて夜着から朝食へ向かう服へ着替えようとしていたアッシュはそれを受けて引き返し、ルークは戻ってきたアッシュに満足げな様子を見せながら腕を回した。
アッシュはベッドに片膝を乗せるという不安定な状態ではあったが、朝の挨拶の続きとして頬に唇を寄せ、そして離れようとした。しかしルークに不意にぐいっと首を引かれたことで体勢を崩しベッドに逆戻りしてしまう。
「……おい」
「んー? だって違うんだもん」
ぎゅうぎゅうと抱きしめていた腕の力を緩めてルークは下から見上げ、アッシュは何が違うのかと眉根を寄せたが、何を請われているのかは顔を見れば一目瞭然だった。じっと見つめてくる目に少しだけ笑いつつ顔を近づけて唇へ口付ける。ルークの言う違いは頬ではないということだったのだ。
ふわふわと柔らかく触れてほんの少し離して顔を見ると、これが正解だったのだと知れるそんなうっとりとした表情をしていた。
「ん……」
離れたことでうっすら目を開けたルークはアッシュが至近距離から自分を見ていることに気付いた。気恥ずかしさからほんのりと頬に赤みが差し、それでも続きを期待する目を向ける。ルークはキスが好きだ。そしてそれをアッシュも知っている。
「なぁ、アッシュ。もう一回……。そうしたら起きるから」
「……あと一回だけだからな」
そう釘を刺したものの実際のところルークへというより自分自身へ言い聞かせるようなものだった。だがルークはそんなこと知らないので、うん、と頷く。そうして改めて唇を寄せ、今度は深く合わせる。
今日はこれからバチカルを出て視察の予定があるのだ。このままお互い満足するまで堪能する時間はない。
ルークから零れ落ちる甘い声に内心もったいねぇな、と思いながらアッシュはゆっくりと体を離し、強めの力でルークの手を引き起き上がらせた。その勢いで長い髪がルークの肩から前へ滑り落ちて足の上に広がる。それを見下ろし一束手にとって残念そうに息を吐いた。
「今日は、どっちかっていうと短い日の方がよかったな」
「いまさら。どっちも一緒だろう」
「船に乗ってケセドニアだろ? 潮風でべたべたになる」
確かに、とアッシュは納得した。アッシュも髪が長いため同じ条件なのだが、髪の長い日のルークは尻が隠れるほどの長さのため風呂の際にかかる労力は二倍近い。どうせなら短い方が良かったと思うのは当然だった。
「ま、選べねぇんだから、しょうがねー。よし、アッシュ! 朝ごはん食べに行こう! 腹へったな〜」
少しでも早くと言わんばかりに勢いよく服を脱いで着替え始めるルークから努力して視線を外しアッシュも今度こそ服に手をかけた。
(35Pから最後までが「いちにち交替ときどき続く」)
2017.8.20 発行