「……行くか」
もう夜も更けた。寝たふりなどしなくても大丈夫だろう。
体に抱き込むように隠していた荷物を引っ張り出す。
昼間この部屋で見つけた色褪せた地図、少しばかりの食料、寒さを凌ぐ布――。
そう、ここから出るのだ。
「……レプリカ」
「………?」
冷たい床で寝ていた己のレプリカを起こす。
――彼には体を包む布も服すらも与えられてはいない。
こんな環境に置いて行くことなど。できるはずがない。
しばらく不思議そうに瞬きを繰り返していたが自分を起こした者が誰か分かったのか、ぱっと笑った。
「ここを出る。お前は俺だ。お前も連れていく。……静かにしてろよ」
「ぅ〜」
伝わったがどうかは定かではないが取りあえず、大人しいのでいいだろう。
レプリカに自分の着替えを着せる。
少し嫌がるそぶりは見せたものの最終的には着せることができ、ふぅ、と息をついた。
慣れていないのだ。こんなことは。
(こいつは歩け…ないよな)
試しに上体を抱き上げて立たせてみたが、支えている手を緩めるとぺたんと座り込んでしまう。
しかし昼間座れなかったことを考えるとそれすらも凄いことで。
少しどうするか考え、背負うことにした。
自分と同じ体格なのだから当然のごとく背負いにくい訳だが、レプリカは嫌がって暴れることもなく安心したように体を預けてくるので、さしたる苦労はない。
音を立てないよう慎重に足を運び地上へと。
扉を開けたそこは薄暗く、しかし微かに明るい。
夜が、明けようとしていた。
「ルーク様とレプリカが逃げた! 子供の足だ、まだそんなに遠くへは行けまい! 追え!」
指揮官らしき男の叫び声が聞こえる。存外早く失踪に気付いたようだった。
「ちっ……しょうがねぇ……」
タイミングを見計らってごくごく小さな声で。
「……全てを灰塵と化せ。エクスプロード」
兵の目と鼻の先で中規模の爆発が起き、風が巻き上がる。
ここで、捕まる訳には、いかない。
「……行ったか」
コーラル城から程近い茂み。
――そう、彼らは逃げていない。隠れていたのだ。
あたかも逃げているように見せるため、譜術をだんだん遠くへと放っただけ。
「ぅ、あぅ」
くん、と服を引かれてハッとする。
自分が酷く緊張していたことを知った。手先は冷たく額にはうっすらと汗が滲んでいる。
「は……っ、情けねぇ……」
今まで実践として譜術を使ったことなど無かった。
体が冷える。
子供の自分が放った譜術。死んだものはなくとも怪我人は出ただろう。
背中にもたれるよう座っているレプリカの暖かさが酷く心地よく感じる。
こんな情けない有様ではバチカルへなど帰れない。
……もっと強く、もっと強く!
レプリカと共に帰ってみせる。ヴァンの好きにさせて堪るか!
床にレプリカを叩きつける師の姿が目に焼き付いて離れない。
――よくも、よくも俺のレプリカを!
「あ〜」
ぐいぐい服を引っ張るので思考を中断して振り返るとレプリカはなぜか泣きそうな顔をしていた。
ぎゅうぎゅう抱き付いて静かに泣いて。
なぜか慰められた気がして、自分が泣きそうになる。
「レプ……」
呼び掛けようとして、止まる。
『レプリカ』は存在であって名前ではない。
愕然とした。こいつには名前すらないのだ。
いや、こいつは俺の代わりとして生み出されたのだから名前は同じ物が与えられたであろうが、それは違う。
こいつは自分の名前が、ない。
「ルーク……」
それは自分の名前。聖なる焔の光。
……酷く違和感を感じた。初めて感じる、違和感。
自分が聖なる焔の光?俺が?レプリカを生んでしまった俺が?(作られてしまった、とはいえ)
俺はもう「聖なる焔の光」ではないのではないか。むしろ……。
己のレプリカを見る。不思議そうに見てくる目。それはどこまでも澄んでいて。
「お前の方が、ふさわしい……」
「んぅ?」
そっと頬に触れて。
「お前は、ルークだ」
――そして俺は、この時より聖なる焔の灰となる。
「聞こえなかったのか、俺たちはルーク・フォン・ファブレだと言っている」
若干イライラした声音で再び口を開く。
それでも相手――カイツールの軍港の責任者――は戸惑いを捨てきれないようだった。
こちらの無事を喜ぶ言葉を口にしながらも、頭からすっぽり布を被っているルークを不審そうな目で見ている。
――あぁ。自分の体が小さいことがこんなに悔しいことだなんて!
不躾な視線から隠してやることもできない。せいぜい隣に立つことが限度。
不安そうに俺に寄り添うルークの手を取って握る。
(そうだ、俺はここにいる。何を不安に思うことがある?)
あの研究室でのように、思いが伝わったのだろうか。
心なしかレプリカから力が抜けたように感じる。
……どうやら明日、迎えが来るらしい。
今日はここでご滞在下さいませ、と通された部屋で2人きりになるのを待ち、ベットに座らせてルークの布を取ってやった。
「あーぅ」
布が邪魔だったのだろう。ふるりと一度頭を振って腰の辺りに、ぎゅ、と抱きついてくる。
知らない人間に囲まれて不安だったのだと、思う。
「ルーク」
「ぅ?」
そう呼んでやると反応を返す。この3日間でどうやら自分のことだと学んだようだ。
「そうだ。じゃ、俺は?」
「ぅー…あ、あ……ちゅ……」
アッシュ、と訂正しつつ赤髪翠眼が2人となると混乱は避けられないだろうな、と頭の片隅で考える。
ベットに腰掛けたルークを立たせてみる。
まだ歩くことはできないが、なんとか俺に掴まって立つことはできるようになった。
ゆっくり手を離させると数秒の後、ぽすんと座って、はふぅ、と息を吐いた。
短い時間だが自力で立てるとは大した成長だ。
今の自分の情報から作られたのだから歩くことは知らなくても、歩ける身体なのだろう。
「……えらいな、ルーク」
頭をひと撫でして、さぁ明日はどうしようかと思いを馳せた。
「ルーク……っ!!」
苦しいほどの抱擁。
カイツールの軍港からバチカルの港へ着き白光騎士団に厳重に警護され、公爵家へと帰還し最初に見たのは。
母の、涙。
「あぁ……っ! ルーク! ルーク!!!!」
「ただいま、もどりました……」
母の腕に包まれて、母の声を聞いて、安心している自分がいることに気づいた。
その腕の中でぼんやりと。
ヴァンの話――秘預言――を聞かされ、自分は殺されるために生まれ、生かされているのだと、そう思った。
17歳になれば死ぬ。
国のために。預言によって定められ、誕生したのだと。
世界が、国が、両親が。
何もかも。信じられなくなった。
誰も、誰も、だれもだれも! 俺を、必要としてはいない!!
……死ぬことだけを、求めて、いる。
そう、感じて、師に付いていった。
だが、これはどうだ。
母は、泣いて無事を喜び、縋り付くように抱きしめて。
父は、少し距離があるものの目に涙を浮かべている。
――必要のないものに、こんな反応を、するか……?
「……………………………か?」
「今…何と…?何と、言ったのですか、ルーク……?」
ここでは、聞けない。
こんな、人が多い、所では。
「ぁー……ゅ…」
「……」
母の腕から抜け出して、ずっと手を繋いだままだったレプリカの体を抱きしめた。
なぜかは分からないが、ただただ不安で。
「ルーク……その子供は……?」
母上が地面に膝を付いて、目線を同じくする。
あぁ、そうだった。
母上は、こんなにも優しい人だ。父も怪訝そうな目で俺たちを見る。
「父上。人払いをお願いいたします」
更に父の眉間に怪訝そうな皺が刻まれたが、俺の真剣な様子を見、迅速に人払いの命令を出す。
公爵家に仕えるもので、父の命に異を唱えるものなどなく、波が引くように使用人、白光騎士団が姿を消す。
自分たち、父、母以外も人間がいなくなったことを確認して。
その姿を覆っていた布を、取り払った。