「クラトスー!」
勢いを付けて背中に飛びつく。
これくらいで転倒などする相手ではないと知っているからそれはもう思いっきり。
身体的にはまったく問題はないが、驚くには驚いたのだろうクラトスが少し息を呑んだ。
ほとんど足は体重を支えていない。つま先が地面を蹴る程度だ。
つまりロイドの重みはすべてクラトスの背にかかっている。
「……ロイド。いきなり飛びつくのはやめなさい」
窘めるように言うものの、背中にぺったりくっつくことを咎めはしない。
「わりーわりー。あのさ、羽だしてみてくんねぇか?」
「……羽」
唐突だ。
時々、突拍子もないことを言い出すことは心得ていたが、今回はより一層訳がわからない。
なんのやり取りもなく背中に飛びついてきたかと思うと、羽を出してくれなどと。
……まったく話の流れが見えない。
「いったいなぜ」
「いーから!出してくれよ」
ロイドは言葉をさえぎって早く早くと言わんばかりに軽く跳ねた。
堪え性のないことだ、と軽く嘆息し望まれた通りに羽を顕現させる。
クラトスにとっては造作もないことだ。
森の中なので人目を気にしなくていいのは幸いだった。
最もいくらロイドであっても大勢の人のいる中で強張ったりはしないであろうが。
背中に密着しているので、ふわりとはためく透き通る青い羽がロイドの体を包むように展開する。
それに感嘆の溜息をつく。
「やっぱ近くで見るとキレイだな……」
目の前の羽に手を伸ばす。
マナであるそれに触れることは叶わず指は通り抜けてしまうが、
それでも構わなかった。飽くことなく輝く粒子を撫でる。
綺麗、キレイだ。
そんなロイドの様子に違和感を覚え、何か不安が胸をよぎった。
根拠はない何かが……。
「ロイド、何かあったのか?」
ぎゅ、と背中に抱きつく力が強まる。
それこそ、何かがあったのだと雄弁に語っていた。
ふっと重みが消失したので振り向く。
ロイドは少し目を伏せ気味にしており、何か言おうとしては口を閉じる、といったことを繰り返す。
何かを伝えようとしているのだとその様子から汲み取りじっと待った。
「あの、クラトス。驚かないでくれよな。……いや、驚くだろうけど」
いったい何を、と思うが何か思いつめた様子に何も言うことはできなかった。
ロイドはそっと目を閉じ、そして。
「……っ」
声なき声と、少し苦しそうな表情と共に現れたのは。
――大きな羽、だった。
ゆらりと伏せられた目が開かれる。
そして確かめるように自分の背を見て、クラトスを見る。
クラトスは何も言わなかった。いや、言えなかった。
まるで言葉が喉に張り付いたように何も出てこない。
羽。それが意味することは……天使化しかありえない。
いきなりふら、として膝から崩れ落ちそうになったロイドにハっとして動き、支えた。
驚いている。
しかし驚いていても咄嗟に動けてロイドを支えられたことに安堵した。
「ごめ…、羽だすの、まだ、慣れて、なくて……さ」
「構わん。それより……ロイド……いったいいつから」
いつから羽を出せるように。
「あー…今言うつもりじゃなかったから、うまく説明できねぇと、思う」
「今、言うつもりじゃなかった?」
「……あぁ。でもクラトスの羽見たら、なんか言うなら今しかないかもって……」
衝動的な行動だった。
クラトスは最初に飛びついてきた時には悲壮な雰囲気などなかったな、とひっそり思い出す。
未だ少し辛そうにしているロイドを引き寄せその場に座り、
立てた片膝に寄りかからせると、ロイドは額をクラトスの方に摺り寄せた。
「……うん。最初はデリス・カーラーンでミトスを倒した後だ。あんたも見ただろ」
大樹を発芽させた時だと瞬時に悟る。
あの時、仲間の誰もが見ていたことだ。
ただ、あの時はロイドの周りをくるくると回っていたミトスの輝石の影響が強く出たのだとそう思っていた。
それをロイドに言えば、俺もそう思ってた、と返る。
「でも、な。それからちょっとして、朝起きたら……羽、出てたんだ」
驚いてちょっとパニックになった、と苦く笑うロイドを強く抱きしめる。
羽が顕現する天使化。そこへ至る過程を思えば胸を締め付けられる。
ロイドはアイオニトスを飲んで天使化した人間、クラトスの血を引き、なおかつハイエクスフィアの実験体であったアンナの血を受け継いでいる。
そしてそのアンナからできたハイエクスフィアを肌身離さず持っていた。
因子は色濃くあった。
しかもロイドのエクスフィアはハイエクスフィアであり、クルシスの輝石の一歩手前の状態だ。
それでもロイドは普通の人間だったから、気にはかけていたがまさか天使化が始まっていたとは。
「すまない。気づくことができなかった。お前がまさか天使化しているとは……」
ロイドはふるりと頭を振る。
「いいんだ。そんなの気がつかなくて当たり前なんだから。それに……」
そこまで言ってロイドは顔を押し付けて隠してしまった。
それに、何だというのだろう。
「……クラトスに、知られたくなかったから」
クラトスは自分を責めるだろう。ロイドがどんなに気にするなと言っても。
「でも、知って欲しくないのに……知って欲しかったなんて…おかしいよ、な」
だからこうして明かしてしまった。
そうして胸中を吐露するロイドの姿をそれ以上見ていられなくて、包むように腕を回してきつくきつく閉じ込めた。
目の前でロイドの白い羽が揺れる。
白くて、それでいて少し緑がかった己のものとは形状がまったく異なるそれを。
「……お前に、耐え難い苦痛を強いたのだな」
いくら因子があるからといって何もなく天使化することはありえない。
そう考えるとどうしてもやりきれない思いが渦巻く。
自分が関係ないなどと甘い考えを持つほど落ちぶれてはいないつもりだ。
救いの塔で裏切り、晴天の霹靂であった血縁を明かされ、その上で決闘を強いた。
これだけで、ロイドの負担は大変なものだったことは想像に難くない。
「あんたは、そうやって自分を責めちまうから……。
だから言いたくなかった。クラトスのせいじゃねぇのに」
少し楽になったのか、ロイドはクラトスの胸を押して若干離れ、顔を見上げた。
「それでも、一端を担ったのは私だろう」
「……まったく関係ないとは言わない。俺はクラトスの息子だしな。でも、あんたのせいじゃない」
重ねてロイドは頑なにクラトスのせいではないと言う。
明らかにクラトスは自分も関係していると思う。いや、実際影響を与えたことに間違いない。
だから強く言い張るロイドに首を傾げざるを得ない。
「もし、苦しくて苦しくて天使になったんだとしても、
俺は、俺がすると決めた道を選んでこうなったんだ。後悔なんてしない」
難しいことだと分かりきった道を選んだのは自分だから、とロイドは言う。
「それにな、多分、俺はコレットみたいに苦しんで天使になってない。……と思う。
そもそも俺、よく分からねぇんだ。なんで自分が天使になったのか。というか俺は本当に天使なのか……?」
最後のくだりはクラトスに対する質問らしい。
「神子のように苦しんでいないとはどういうことだ?」
「え、あぁ。コレットはさ……最初に羽が出て、耳とか良くなって、それで何も感じなくなって。
最後に声が出なくなっちまっただろ。俺そんなことなかったぜ?
それに五感……だっけ? も、ちゃんとあるし……」
至って普通に過ごしていたとロイドは心底不思議そうに眉尻を下げる。
クラトスはそれらのことを反復し吟味する、が腑に落ちない。
己のようにアイオニトスを飲んだなら……とまで考えてハっとした。
そこまで考えてロイドを見やる。
ロイドは不思議そうに己の羽をふよふよとさせて、触れてみては更に不思議そうにしている。
羽が発現している以上天使には違いないだろうが……前例のないことだ。
そもそも天使化した人間の血を引くもの自体ロイド以外にない。
「恐らく、私のアイオニトスやクルシスの輝石が影響しているだろう」
「アイオニトスって……あれか?クラトスやゼロスが飲んだっていう……」
頷く。
天使術が使える以上コレットも大なり小なり飲んでいるはずだ。
「でも俺飲んでないぜ。そんなの」
「だから、私のせいだと言っている」
意味がわからない、そんな顔をするロイドにクラトスはことさらゆっくりと口を開く。
「お前は、私の血を引いている」
ロイドが目を見開く。
――クラトスの血。
「そっか……。なら、嬉しい、な」
嬉しい?
なぜ、そうなるのか。
今度はクラトスが困惑する番だった。
「もし、クラトスの血を引いてるってことで天使化したんだったらさ、
苦しみかなんかで天使になっちまうより、ずっといいじゃねぇか。それに……」
次々飛び出る予想斜め上の言葉にすぐ返事を返すことができない。
しかし不自然なところで言葉を切られてしまい、先が気になって仕方がないためロイドにその先を促した。
「……ほんとにクラトスとの繋がりがあるんだなぁって、その、実感できる」
頭をガツンと殴られたような心地がした。
言うのが恥ずかしかったといわんばかりに落ち着きなくそわそわしている姿を凝視してしまう。
天使になるなど、これまで生きていて考えたこともなかっただろうに。
突然降りかかった事態を拒絶せず受け入れる強さ、それこそがロイドなのだと強く実感した。
天使化親子。
親子なのかクラロイなのか自分でもわからない……。
2009、6・1 UP