ここ、どこ。
目を開けると、まったく知らない天井があった。
体が重くて動くことはできず、思考もまとまらない。
なんとか首を動かして、見えたものは赤色で、とたんに心臓がうるさいほど動き出す。
ちがう、あつくない。
火じゃない。
確かめるように左手の先で掴んで見てもやっぱり熱くなかった。
「ん、ん……なに、いて……。……ん?」
赤色が動いてそれがベッドに突っ伏していた人の頭だとわかった。
驚いたように見てくる目が、みるみる嬉しそうな様子になり身を乗り出してくる。
「よかった! 目が覚めたんだな! ちょっと待ってろよ」
頭はぼんやりとして、まったく出来事の理解ができない。
あっという間に人を連れて戻ってきたと思ったら水を飲むかと問われた。
よくわからないまま頷く。起き上がれないということはわかっているらしく、女の人がスプーンにほんの少しだけ水をすくい、唇にあててくる。
ただ、甘い、と思った。
「あ、あれ、また寝たのか!?」
すぐにまた寝入ってしまった少年にルークは慌てたがローズが、そりゃそうさ、と宥めた。
「そうなのか? アッシュ?」
「まだ起きていられるほど回復してねぇんだ。意識が戻ったようだからとりあえず最悪のことにはならないだろう。こいつもそうだといいが……」
アッシュにつられて隣のベッドに横たわる少年を見たところでルークは違う意味で焦りだした。
(お、おれ、今、アッシュのことアッシュって)
油の切れた音機関のようにぎこちなくローズを見ると、首を傾げられた。しばらく見つめあっていたが、呆れたようにこう言われる。
なんだい。まさか無意識だったのかい。と。
血の気がざぁっと引いた。
「いまさら。おまえ昨日からずっとだぞ」
「ええっ?」
ルークは狼狽し、頭に手を差し込みそこでまた止まった。
髪、赤い。
「うわぁぁあ! いや、えっ!?」
「隣に行こうか。この子たちが休めなくなっちまうよ」
「あぁ……」
アッシュは脱力しながらルークを押したり引いたりしながら寝室から居間に連れ出したのだった。
「アッシュ落ち着きすぎ!」
「お前は慌てすぎだ。ルーク」
「名前ぇぇえ!」
「だから! いまさらだ!!」
ローズはさも面白げにお腹を抱えて笑い、夜通し看病で疲れてるんだから笑わさないで欲しいと涙を浮かべながら訴えた。
「いや、え、でも、アッシュ? なんでおれだけ慌ててんの!?」
「ここに来るって決めたのは俺だ。最初からばれるの前提でローズのところに来たんだからな」
特になんでもないと言わんばかりのアッシュにルークは、そういえば、そっか、と呟く。
よく考えればその通りで、ローズは自分たちが何かを隠していると知りながら追求せず今まで通り接し、ずっと待っていてくれた人だ。
いつか全部言える時がくればいいと思っていた。
決してこんな形ではなくきちんとしたかった気持ちはあるが、それこそいまさらだ。
もう見た目からして色合いがあり得ない。いつもと違いすぎる。
「とりあえず、あんたたちの生まれ持った髪と目はその色なんだね?」
まだ笑いを含んだままローズは問いかけ肯定を受けて今度は深く息を吐いた。
「ようやく私は安心したよ」
「えっ?」
「信じてくれたってことだからね」
そう言って膝の上で組んだ手に視線を落とした。
「長かったねぇ。今日まで。いつかは信用して教えてくれるとは思っちゃいたけど、事情があるんだからこっちからは聞かないって決めてたんだよ。でも駄目ね。変なことばっかり考えたりしたよ。本当のアルとルルを知らないから、いつの間にか私の前から消えてしまったら探せないわ、とかよく思ったねぇ」
2人はどきりとした。
選択肢としてなかったとは言えないからだ。
ローズは常にいなくなる危惧を抱えていたのかと思うと申し訳なさが先に立つ。それが顔に出たのか、ローズは困ったようにあながち外れでもなかったねと呟いた。
「それにしても、本当はそんな華やかな色合いだなんてそれこそ想像すらしていなかったんだよ。隠してたのは、家と名前だけだと思ってたんだ。髪はともかく目の色を変えることなんてできるんだねぇ!」
「あ、えっと、このままだと目立ちすぎるから」
「隠れるには無理がある色だ。普段はいつも譜術で変えている。今回はあの2人を迎えに行くために元に戻していたんだ」
追い追いそのあたりは話す、と、アッシュはいったん話を止め背筋を伸ばした。
「ローズに改めて名乗る。俺は今アル・ルキウス・ナイマッハを名乗っているが、ナイマッハには所縁がない。俺の名はアッシュだ。キムラスカ・ランバルディア王国のそれと知られた家の出身だが、それはまだ言えない。……すまない」
「あ、おれ……おれも、アッシュと一緒で、ルル・リュシアン・ナイマッハなんだけど、ルークっていうんだ」
ルークはまだ混乱しているのか、たどたどしい名乗りになってしまっていた。
その言い方は今となってはもう懐かしくすら感じる最初に出会った頃を思い出させローズは優しく目を細める。
あの頃から比べると随分背が伸び声も変わっているが、成長してもその好ましい内面は変わっていないのだと知っている。
「このことは、マルクト皇帝陛下もご存知だ。全てを承知の上で身分を賜って下さった。貴女だから話したが、他言無用でお願いする。漏れたらそれこそ俺たちはキムラスカに消されてしまう」
ローズは力強く頷いて、少し首を傾げていたずらっぽく聞いた。
「私は、あんた達が好きだからね。で、どんなおおっぴらにできないことに協力すればいいんだい?」
アッシュはくすりと笑い、話が早くて助かるなとローズへの信頼を深くしたのだった。
次の日、再び目覚めた少年は上半身を起こすことができるまで回復し、アッシュが差し出したコップを受け取って半分ほど水を飲んだ。
口を開こうとして、何かに気付いたように喉を押さえる。
「ーー?」
「あぁ、無理に声を出すな。ザレッホ火山の熱に喉をやられているんだろう。しばらく我慢しろ」
少年は頷いて、残りの水を飲み干して再び差し出された手に渡し、言われるままに横になった。
右手だけ布団の外に出されて包帯を替えられる。
じくじく痛むが、それが何故か思い出すのに酷く時間がかかった。
火傷だ、と思い出すと同時にザレッホ火山を思い出し、身体が勝手にぶるりと震える。
痛むか、寒いかという問いには首を振って否定を返す。
アッシュはそれ以上何も聞かず、火傷に薬を塗布し、新しい包帯を巻いた。
じっと見てくる目に気付いてはいたが、話なら回復してからでいいと思う。
現に、少年の意識はまた眠りに入りかけていたのだから。
2日間、眠りと覚醒を繰り返した少年は、熱が下がり多少顔色もよくなった。火傷も薬と回復術の相乗効果で予後は良好だ。
これならもう大丈夫だろうと3人はほっとしたが、もう1人の少年は未だに目覚めないのでまだ緊張は解けない。
ローズが少年が食べられそうなものを作ると言って部屋を出て、ルークは昏睡している少年の側に座り込む。
「な、アッシュ。こっちの子はなんで目、覚まさないんだ……?」
「わからない。会うまでに何かあったのかもしれないな。見えない怪我があるのなら俺たちには手当てできない。ルークの回復術も効果がないとなると、ジェイドを呼び寄せるしか……」
心配げに会話を交わす赤い2人をじっと見ていた少年が息を大きく吸ったことに2人は気付かなかった。
「そいつ、は、身体能力が劣化してる」
かすれた声に驚きアッシュとルークは振り向く。
驚きに見開かれた緑の目を見ながら少年はまだ記憶に新しい緑の目を持つ彼を思い出していた。
彼はまだ意識を保てているのだろうか。
「そっか、体弱いから寝たままなんだな。怪我じゃないんなら、たくさん寝れば起きてくれるかな……」
もっと違うことを言われるだろうと思っていたのか、少年は困惑したような表情を浮かべ2人を見る。
「怪我でいうなら、お前の方が傷だらけだった。お前は大丈夫なのか」
「ボクが劣化してるのは、譜力だ」
だからもう問題ないと言いたげだが、アッシュから見てとてもそうは思えず隣のルークの思いも同様だったのかもう少しベットで休めよ、と勧めていた。