「なんとか仰ってはいかがです」
「話すなと、言ったのはお前……」
「ピオニー陛下」
「あー……」
逃げ場などないというのに、往生際悪く唸るピオニーにジェイドは追求の手を緩めることなどしない。
「おかしいですねぇ、これはマルクト皇帝陛下の私物。しかも、恐れ多くも私室のクローゼットにあったものだというのに。一体誰が持ち出し、さらに街の店へ売り飛ばしたというのでしょうか」
「へ、へぇー、いや、似ているが違うんじゃないか」
訓練用の共通響律符であるならともかく、同じ名の響律符は通常存在しない。それを分かっていないはずがないというのに苦しくもそう言い張る。
「盗難だとすれば由々しき自体です。まず侵入を許すなど軍として有ってはならないこと。城の警護を手厚くして人員を増やさなければ。あぁ、私室前の警護のみでは心許無い。そうですねぇ、部屋内部にも護衛を、なんなら枕元に……」
「俺が持ち出して、街で売った!」
とうとう観念したピオニーは降参するように両手を上げて喚き、ジェイドは溜息を吐いた。
「そんなに警護の増員が嫌とは恐れ入りますよ。しかし、抜け出して街に向かわれているとは本当に警備は穴だらけだ」
ソファで大の字になって降参する皇帝とその懐刀という図は、とても見慣れてしまってはいたが何回見てもくらくらする、とルークは思った。
はらはらして胸の前でぎゅっと握っていた両手をふとジェイドに取られる。
「譜石を見せてください」
「え? あ、うん」
思いの他固く握っていた拳を開くと、ルークの手の上で、ころりと赤い譜石が転がり、それをジェイドはじっと見た。
「まぁ、その大きさであれば……初めてでも大丈夫でしょう。本来の響律符の譜石はその欠片の半分もないんですよ。ルル」
「そうなのか? ん? もしかしてジェイド刻んでくれるのか?」
「陛下を刻む理由を持ってきてくれましたし、お礼に刻んであげます」
刻む意味が違う、とルークの顔が引きつったが賢明にも声には出さなかった。
ジェイドはルークの譜石を受け取り、その手にメジストレを返した。
「でも……これ、陛下の」
戸惑ってジェイドを見上げると、首を振って、これはもうルークのものだと言わんばかりに握らされる。
「これはルルが購入したものです。あなたの物ですよ。どうしても必要になれば相談しますが、もちろんその時はピオニー陛下が払ってくださいます。えぇ国庫からではなく私費でね」
「ねちねちねちねちと……この意地悪メガネが……っなんでもないぞ!」
ピオニーを振り返ったジェイドの表情はルルからは見えなかったがピオニーの反応を見る限り、目の当たりにしなくてよかったと心底思えるようなものだった。
しかし、やはりピオニーはジェイドに慣れている。一瞬で立ち直りふらりと歩み寄ってジェイドの手からひょいと譜石をつまみ上げ、どうするんだと言わんばかりにジェイドを見た。
「ルル、刻む譜は私に任せてもらっても?」
「あぁ! できるだけ使えるやつがいい!」
大雑把すぎてむしろ難しいリクエストをしたルークに苦笑しつつ、ジェイドは請け負った。
それにパッと笑ったルークは、出来たら教えてくれよな、と言い置いて退室して行く。
「壊してやるなよ。ルル・リュシアンはどうもこれに思い入れがありそうだ」
「そんな初歩的な失敗はしませんのでご心配なく。譜眼に比べれば容易いものだ」
譜眼と聞いてピオニーはなんともいえない表情を浮かべ肩を竦めた。
「譜眼ってお前な……。どんな物騒な物を作り出すつもりだ?」
「ご要望通りの、役立つ物ですよ」
「できたら見せろ。なぁジェイド、これ、素手で触ってみろよ」
それに何の意味があるのかわからず聞き返すと同じ言葉を繰り返されるだけだ。
なんだというのだと思いつつジェイドは片方のグローブを取り去り机に置いてから改めて譜石に触れる。
とくに違いは見受けられない。
「なんです?」
「あたたかいだろう」
「はぁ?」
完全に主君に向けてはいけないような声が出たがピオニーは楽しげに笑うばかり。
「俺が触れた時は確かにあたたかかったぞ。ルル・リュシアンの体温が移ったんだな。どうだ、あたたかいだろう」
「それが今も持続している訳ないでしょう」
「体温だけの話じゃなくてだな、あー……お前、頭はいいが、やっぱりどこか抜けているな。さー戻るか〜」
返事など待たずジェイドに譜石の片割れを返して、来た時と同じように自然に出ていき、少し離れた所から通路で巡回していたのであろう兵の素っ頓狂な声とピオニーの笑い声が聞こえた。
ジェイドはそれを聞くともなしに耳に入れながら、手のひらの譜石をぎゅっと握る。
ルークの手から離れ、グローブの上にしばらく載せられていた譜石はやはり温もりなどない。
「あぁ、そうか」
抜けている、と言われた意味が唐突に理解できた。
そうだ、これは、あたたかいのだろう。
「あたたかくもないものが、そう感じるとは……おかしいものだ」
言葉とは裏腹に、声は満更でもない調子でジェイドは自分に対して苦笑したが、それを聞いたものはなかった。
宮殿から出て、上機嫌でガイの屋敷に遊びに行ったルークはエントランスでぱちくりと目を瞬いた。
見たことのない女の子が荷物を抱えて所在無さげに立っていたからだ。
旅装のようなので、この周辺の屋敷から来た訳ではないと一目でわかる。
明らかに困っているという感じで、そわそわと周囲を見渡していた。
「なぁ、お前、どうしたんだ?」
「きゃっ」
後ろからいきなり声を掛けたのが悪かった。女の子は驚いて小さく飛び上がりその拍子にどさりと荷物を取り落としてしまったのだ。
「あ、ごめん。驚かせちまって。誰か待ってるのか?」
「い、いえ……あの、取次いでいただこうと、思ったのですが、その、誰もいらっしゃらなくて……勝手に入ってすみません!」
勢いよく頭を下げたため下ろしている長い髪が前へ流れる。
自分自身の髪が長いので見慣れてはいるが、女の子の髪はまっすぐで、さらりとした質なのか何も引っかかることもなく流れ素直に綺麗な髪だなと思える。
「そっかぁ。ここ、使用人少ないからなぁ。たまにここ誰もいないんだ。な、頭上げてくれよ。おれ、遊びにきただけでここの人じゃないんだ。ところで何しに来たんだ?」
「あの、新しく使用人見習いに入る者なんです」
なるほど、それならこの大慌て振りも理解できるとルークは思った。
「人呼んで来てやるから、待ってろよ!」
女の子の返事を待たず慌てたような声を背に受けつつ、ルークは奥にずんずん進み、誰か見つけたら伝えようと思いながらガイの部屋を目指したのだが、とうとうどの使用人にも会わないまま、目的地まで到着してしまった。
ノックして返答があって内心ほっとする。
これで誰も見つけられなかったらあの子が可哀想だったからだ。
「なーガイ、エントランスにお客さん居る。人が誰もいなくて、凄く困ってたよ」
「客? 今日はそんな予定ないんだけどな……どんな人だった?」
そう言いながらも上着に袖を通す。
ガイは、自分の身が空いている時に限るが大抵は自分自身が動く。もうこれは性分だと言ってどうにかこうにか自邸の使用人にも納得させているのだ。
「綺麗な女の子。年はおれくらいかなぁ。使用人の見習い? に入るみたいだった」
「……まさかと思うけどその子……茶色の髪で青い目?」
「え? あれ、知り合い?」
「その子一人、か?」
「そうだけど?」
ガイは、あー、と言いながらも、ルークを連れてエントランスに向かった。
ルークはなんで連れて行かれるのだろうと思いつつも言われるまま後に続く。
女の子は先ほどとまったく同じ場所に体を硬くして立ち竦んでいた。
「待たせて悪いね。初めまして。ガルディオス邸へようこそ」
「は、初めまして」
ガイはさりげなく周囲を見渡して、すっと顔を女の子に向ける。女の子の名を聞かないことから、来ることはわかっていたのだと知れる。
「君は一人で来たのかい? 一緒に来ると聞いていたんだが……」
「途中まで一緒だったのですが、兄は、急に帰還命令がありましたので、私一人で参りました。紹介状は、ここに」
頭の中で何度も繰り返していたのだろう言葉は時々詰まりながらも紡がれ、ガイは差し出された書状を受け取った。
読むまでもなく心得ていると言いたげに懐にしまう。
「確かに受け取ったよ。これからよろしく」
「よろしくお願いします」
教科書のようなお辞儀をした女の子からガイがさり気なくも素早く一歩距離を取ったことは、ルークしか気付かなかった。
ガイが苦笑するようにルークに視線を移し、もう少し近づくようにと手招きする。
「ルル、紹介するよ。新しく使用人としてうちに入ってくれる子なんだ」
「……うん?」
なぜわざわざ紹介されるのか、いまいち分からないが取り敢えずは聞く。
「ルルはナイマッハ家のものだ、この屋敷にもよく出入りするから仲良くね」
「ナイマッハの方……だったのですね。先程は申し訳ありませんでした。どうぞよろしくお願いします。私は、ティア・グランツと申します」
「あ、うん、よろしく! ……ん? グラ、ンツ?」
それってまさか、と固まってしまった首をギギギと動かしガイを見るといい笑顔が目に入り、それがまさかじゃないのだとわかってしまった。