「そ……そっか! あ、あんまり、に、似てないから、全然、わ、わからなかったなー!」
途端にしどろもどろになったルークは空笑いしつつ、この場をどうしたらいいんだとガイに目で訴える。
すると、ぱちっとガイが片目を瞑った。
「さぁ、ずっとここにいるのも何だな。奥に案内するよ。ティア、君にはしばらく教育係がつくからその人に色々聞くといい」
「はい」
「ルル。悪いが……」
すっと向けられた視線の意味を履き違えたりはしない。
ガイの意図を汲み取って、こく、と頷く。
「ペールギュントお祖父様にお声掛けしてくるよ」
よろしく、という声を背に受けながらできるだけいつも通りを装いながら道を歩いたが、心臓がバクバクと煩い。
(お、落ち着け、おれ……。別に、ヴァン師匠に合ったわけじゃないんだから)
ルークはそう言い聞かせながら、焦れる心を抑え付けていたが自分の屋敷の扉を締めるともう我慢できなくなった。
突然小走りになり奥を目指すルークを見て使用人がぽかんと見送っているが、この際無視だ。むしろ全力で走っていないことを褒めて欲しい。
ペールは多分、この時間なら花壇の世話をしている。
庭園に向かってどんどん足は早くなった。
角を曲がると随分先ではあるが、アッシュの姿が見え足音で気付いていたのであろうその顔が驚きを示していた。
「ルル? いったい、どうし……」
質問には答えないまま、走り寄って飛び付き、アッシュの首にかじりつく。
何か言ってからの方がいいとは思ったものの、口を開けると叫び声を上げそうだったから。
突然すぎてルークの勢いを殺せなかったアッシュは、ぐ、と少し呻いたものの、無闇にルークを受け止めるのではなく、力を流すように右足を軸にしてルークごとくるりと半回転した。
ルークと位置が完全に入れ替わり、しがみつかれたままの体勢が少し苦しいものの転倒しなかったことにほっと胸を撫で下ろす。
「危ないだろうが! 転ばなかったから良かったものの……。ルル?」
腕の中にいるルークが、なにやら様子がおかしいことに気付いたアッシュは、顔を見ようと肩を掴む。
しかしルークはより強く抱き付いてきて目的は達せられなかった。
離すことは諦めてルークの腰に手を添えて、どうしようか、とアッシュが思案を巡らせていると通路の奥からメイド達の声が聞こえてきて、焦った。
通常よりも距離感の近い双子だと周囲に認識されてはいるが、今この状態はあまり見られたくないからだ。
「ルル、人が……」
ルークもまた聞こえる声に気付いたのだろう。
小さく頷いてそっと離れようとするのを、促したはずのアッシュが強く抱きしめ引き止められたためルークは、ん、と声を漏らした。
「……アル?」
ルークのその声に我に返ったのかすぐにルークは離され、何事もなかったかのように向かい合って立つ。
「なんでもない。何かあったんだな?」
「うん……。あ、おれ……。ペールお祖父様に早くガイの所に行くように言わないと……。また後で、アル!」
忘れていたと言わんばかりにまたもや慌てて駆けていくルークを見もせず、アッシュは自分の手を呆然と見下ろした。
引き離すという自分の意思に反して……いや、本来の意思通り動いてしまった、その両手を。
ペールに伝えた後、ルークはすぐにアッシュの所に戻ってきて、ぼうっとしているアッシュを不思議に思いながらその手を覗きこんだ。
「もしかして、怪我した? おれがいきなり飛びついたから……」
驚いたと言わんばかりに体を揺らしたアッシュは、慌てて否定し、なんでもないとすぐに手を降ろす。
ほっとした表情を浮かべるルークを促して、自室へ戻りって何があったのか聞いたアッシュは、ルークがヴァンの妹と接触したと知ってひやりとした。
しかし最初の混乱とは打って変わって落ち着きを見せるルークによると、ヴァンの妹であるティアはとにかく緊張し、狼狽していたようだ。
「かわいそうなくらい、どうしたらいいかわからないって感じだった。住み込みの割には荷物も少なかったし」
「ヴァンに突然行くように言われたのかもしれないな。まだわからないが、ペールが探ってくれるだろう」
こくん、と頷いたルークからはあわり警戒感が伝わってこず何故だろうと疑問に思っていると、大丈夫な気がするのだと、もしヴァンの息がかかっていないのであれば仲良くなれたらいいと思うと笑うルークを見てアッシュは力が抜けた。
警戒してばかりでは何も得られない。わかってはいるが中々難しい。
アッシュは相手との関係を慎重に築く。
その点ルークは相手を信じられるなら信じたいという考えを持っている。
もちろん、誰彼構わず信じている訳ではないが、そのためアッシュとルークでは他者との距離感が違った。
「仲良くできそうならそうすればいい。でも、しばらくは様子見っていうことはわかっているよな?」
「もちろん!」
元気よく返事があり、アッシュは本当にわかっているのか大いに心配になったのだった。
それから数週間、取り立てて何も起こらず、ヴァンの妹が何かを探っている様子も見られない。ペールがそれとなく情報を引き出しているが、アッシュはそれを伝え聞けば聞くほど、訳がわからなかった。
「ガイラルディア様の所に自由に顔を出せる足掛かり、として送り込まれたようですな。今のところそれしかないようです」
「何も知らされてないとしか思えないな……」
アッシュとペールが盛大なため息を揃って落としている頃、ルークは、まさにそのティアと一緒にいた。
具体的には、手を引いていた。
「ル、ルル様……あの、私、大丈夫ですから……」
「どこが?」
ルークは怒ったように振り返りもせずにさらに手を強く握って歩き続ける。
ティアは手を離してもらおうと少しだけ腕に力をいれようとしたが、やめた。
ぼうっとして力が入らないのだ。
ルークは大人しくなったティアに気付いて手の力を緩めそして掌に感じる熱さに眉をしかめる。発熱しているのだ。
「なんで、言わないんだよ?」
「私はまだこちらに来たばかりですから」
休む訳にはいかないと聞いてルークは歩みを止めた。
うーん、と唸りながら少し考えて、行き先を変える。休ませるためにティアたち使用人の部屋へ向かっていたのだが、やめだ。
ティアの手を離して、ちゃんと付いてくるように言い含めて人を探すとたいして時間もかからずティアの教育担当を見つけ出すことができた。
「あ、なぁなぁ! ちょっとこの子に手伝って欲しいことがあるんだけど、うちの屋敷に連れていっていいかな?」
教育係は頷いたものの不安そうな素振りを見せる。まだこの地に不慣れなティアが他の屋敷でお役に立てるかどうか、という懸念らしい。
「人前に出すとかじゃないよ。ものを動かしたり、片付けたりして欲しいんだ。うちの物置代わりの部屋もう少しなんとかしたくて。大人の使用人じゃ動きにくいらしいんだ」
それならとほっと息を吐いて教育の使用人は快く了解し送り出してくれた。
「遅くなるだろうから、帰すのは明日になるからなー!」
これで心置きなく連れ出せる。満足げにガイの屋敷から出て、ちらちらと後ろを確認しながら歩いた。
(うん、ちゃんときてる。でもふらふらしてんな……)
ナイマッハの屋敷の門をくぐり、再びティアの手を引く。歩みが遅くなったのだ。また熱が上がったのかもしれないと思ってティアの顔を見てルークはぎょっとした。
「ど、どうしたんだ?歩くのしんどいのか?」
いや、これだけ熱ければ辛いだろうことは分かる。分かるのだが。
「いいえ……」
そう否定するティアはほろほろと涙を零していたのだ。それはルークを慌てさせるには十分すぎた。
ティアは繋いでいないほうの手で涙を拭うものの、次々溢れているのであまり意味はない。
絶句したルークだったが、ここで突っ立っていても何の意味もないと思い直し再び歩き出した。
目指す先はもちろん休憩できる部屋だ。
静かに涙を零すティアを連れたルークは、人目に触れにくい道を選び中庭の端を横切っていく。
その目論見は功を奏し、使用人には出会わなかった。
しかし、同じように人に聞かれないように会話をしていた者にとってはむしろ丸見えだ。
「……あれは、どういう」
「おや、ルーク様。なぜか連れ出してきていますな」
窓の外に見えるルークとティアの姿を認めてアッシュは危うくカップを取り落としかけた。
今まさにティアの話をしていたからということもあるし、実のところそれ意外の感情も湧いたが、それはその瞬間に叩き潰した。ティアが泣いているように見えたからだ。
「まぁ、ルーク様におまかせしましょう。ルーク様にならティアがわしに言わないことでもぽろっと零してくれるでしょうからなぁ」
同意したアッシュは窓から視線を外し、カップをソーサーに戻しひとつ息を吐いた。
心配には違いないが確かにルーク以上に適任者はいない。聞き出すつもりがなくても何らかの新しい事柄を得ることができるルークなのだから。
ルークはティアを一つの部屋に押し込んで、ソファに座らせた。本当は寝て欲しかったのだが、ティアが受け入れなかったからだ。
「ここはおれの屋敷だから寝てもいいのに」
「いえ……お部屋の片付けをしないと」
それは嘘だから気にするなと笑うと、まったく気付いていなかったらしいティアは目を丸くした。
「体調が悪いのにそんなことさせる訳ないだろ?」
「え、でも、じゃあ、どうして、私……」
帰らないと、と立ち上がろうとした肩を押さえる。
「お前はここで休む。それが仕事!」
戸惑ったように視線を彷徨わせてたティアだったが、体調の悪さは隠しようもない。小さくではあるが頷いた。
満足げに笑ったルークがティアの横にクッションを積み上げて辛くなればいつでも横になれるよう整えていく。
それをぼんやりと見ていたティアは気遣われて嬉しさを感じると共にそれ以上の申し訳なさを覚えた。
「ルル様……。あの」
「それ、やめない?」
え、とティアは言われた意味が分からず困った。なにをやめるのか検討もつかない。
「様、だよ。だってティアとおれは本当なら対等のはずなんだろ」
ナイマッハ家とフェンデ家は共にガルディオス家に仕える対の一族のはずだと暗に示す。
ルークは本来ナイマッハではないので事実は異なるのだが、対外的に間違ったことは言っていないはずだ。
「おれ、堅苦しいの苦手なんだ。とりあえず今は誰もいないんだし、いいだろ?」
にっこり笑うルークにさらに戸惑いは深くなる。しかしぼんやりした頭ではそれ以上考えることはできなかった。
「わ、かったわ」
ティアが受諾するとさらに笑みは深くなったが、その表情はすぐ心配そうなものへと変わる。
「えっと、ティア? 言いにくいことなら言わなくていいんだけど。さっき泣いてた……だろ? 何かあったのか?」
恐る恐るとだがルークはあまりにも気になったため訪ねた。最初は熱があって涙が出ているのかと思ったのだが、なんだかティアが思いつめた顔をしているように見えたからだ。