その後ティアがゆっくりと心の内を吐露するにつれルークは泣きたくなったがなんとか堪えた。
相槌をしながら先を促す。
ティアの表情からして、ルークが涙をこらえていることなど隠せてはいないだろう。
ひとしきり、話し終えたティアは抱えていたものがようやく吐き出せて力が抜けたのだろう。ふっと目を閉じそのまま寝入ってしまった。
座ったままでは熱の体に良くないなと思ったルークは起こしてしまわないように横に積んだクッションにそうっとティアの身体を横たえ、瞬きをして目尻に溜まった涙を頬に流す。
「なんて……」
この世界は優しくないのだろう。
嗚咽を堪える喉がひくりと震え慌てて口を抑え立ち上がり足早に部屋を出る。
「う……」
もう我慢ができなかった。今にも泣きわめきそうな混乱した感情が身の内を焦がしていく。
(早く、戻らないと。じゃないとおれ……)
ルークは一目散に自分の部屋に向かい、扉を後ろ手に閉めてそのまま震える手を驚いたようにこちらを見るアッシュへ伸ばした。
アッシュは今にも泣きだしそうなルークが突然部屋に帰ってきたことが予想外すぎて言葉を見つけられない。何が何だかわからないままルークを引き寄せ腕でくるんだ。
「ア……アッシュ……っ!」
「ど、どうした。ルーク」
「あ、あ、ひどいんだ。ぜんぶ、なんで、こんな……!!」
ルークはアッシュの肩に顔を押し付けた。溢れた涙が肩を濡らしていく。
わななく唇から嗚咽が漏れて、耐えようとするが酷く難しい。抑えようとすると息ができなくなる。
その取り乱した様子を見てアッシュのできることと言えば背を撫でて、髪を梳くことだけだった。
恐らくティアと話した内容でこれほどまでに気持ちが乱されているのだろうということはわかる。
しかしそれ以上のことは想像のしようもなかった。どうしたのか聞きたいと逸る気持ちを抑えただルークを抱く腕に力を籠める。
「あ、あ、あぁぁ……っ」
「ルーク……。我慢するな。一回全部、出しちまえ……」
「う、あ、アッシュ……。ぅぁぁあああああ!!」
アッシュの言葉で最後の決壊が崩壊してしまったかのようにルークはほとんど叫ぶようにして嗚咽を上げた。それでも外に聞こえることを警戒して自分の手で口を押さえている。
アッシュに聞かせるでもなく、ルークの口からは意味の繋がらない単語がぽろりぽろりと流れ出していく。
なんで、どうして、わからない等々ルークの混乱した状況を如実に表す言葉たちだ。
ルークはアッシュに縋りつくようにして立っていたが、今やほとんど自力で立ててはいなかった。
同じ体格であるルークを抱えルークの髪を撫でおろしていたアッシュではあったが、さすがに辛くなってきた。
すぐ側にソファがあるはずで、そこへ落ち着いた方がよさそうだと判断する。このままだと遅かれ早かれ二人もろとも地面に転がってしまう。
前後不覚に泣くルークはアッシュに抱えられながら、促されて足をふらふらと動かし移動したがあまり意識して行っているわけではないだろう。ただ引かれるから動いているだけだ。
ソファに座らせるときに少しだけ離れたものの、ルークはすぐに再び先ほどと同じくアッシュに向かって腕を伸ばす。さらに今度は体ごと倒れこんできた。
「う、わ」
「アッシュ、アッシュ」
アッシュはルークがまさか体ごと来ると思ってもみなかったため見事に体勢を崩してしまい上半身がソファに沈んだ。
後頭部が肘掛にあたり少し痛い。しかしそんなことに構っていられる余裕などアッシュにはなかった。
ルークが、アッシュ胸の上で泣きじゃくっているからだ。
「アッシュ、おれ、おれ、聞いたんだ……っ」
顔をアッシュの服に埋めていたルークだったが徐々に落ち着きを取り戻していき、泣き腫らし涙に濡れるルークの目がじっとアッシュを見上げた。
アッシュの心臓が、今までの動揺とは違う鼓動を刻む。
いつも自分の心奥深くに押し込めている、衝動とも言える感情が強く吹き上げてくるのを感じた。
(くそ、こんな時に、何を俺は)
自嘲し意識して抑え込もうとしてもそれは容易くアッシュの作った壁を突破してくる。
まずいと感じる自分と、今まさに行動を起こそうとしている自分という二つの意識のせめぎ合いにアッシュは喉奥で唸る。
より勝ったのは、やはりというべきかなんというべきか、押し込め続けた意識の方だった。
回していた腕をいったん解いて、ルークの腰を掴んで引き上げた。
そうするとアッシュの胸のあたりにあったルークの顔が、アッシュの真上に来る。
ルークの髪が、はらりと垂れてアッシュの頬をくすぐった。
潤んだ目がすぐ近くにある。
ルークの後頭部を右手でぐっと掴んで、より近づけると何の抵抗もなくルークの唇はアッシュのそれに触れた。
「ん……っ」
驚いたようなルークの声が漏れる。
自分自身が行ったことであるというのに、アッシュの頭の芯が酩酊したようにくらりとするのを感じた。
ついに自分に課した枷を外してしまったのだ。
それでも、すぐに離してやることはできなかった。
まったく同じ唇同士が重なっているはずだというのに、まるでそうだとは思えない。
暖かく、柔らかい、自分とは違う暖かさ。
その思いのまま、アッシュはルークの唇だけでなく、頬や額にもキスをした。
未だに頬を伝うルークの涙を唇で拭う。
もう、ここまでしてしまえばどう言い逃れをしても無駄だ。
後々どうなっても知らない。そうアッシュの思考は突き抜けた。
そんなアッシュの心境など知らないルークはぱちぱちと瞬きを繰り返した。
逃げもしなければ、拒否もせず、なされるがままアッシュを見ていた。
「……落ち着いたか?」
「へ? あ、そういえば、うん……?」
気付けばルークの涙は引っ込み、霞みが掛かっていたような頭の中はすっきりと晴れている。
「なら、いいんだ……」
そう言ってアッシュはさらにルークを引き寄せて右肩にルークの顔を埋めさせた。
大人しくルークは身を伏せて、真横にあるアッシュの唇を眺めた。
「落ち着いたのなら、ティアとどんな話をしたのか教えてくれ」
「あ……、えーと。いろいろあって、どれから話せば……」
「話せる順番でいい。わからない部分は俺が質問する」
ルークは少し考えた。
確かに順序立てて話せそうにないなと思ったのだ。
「えぇと、まずティアはヴァン師匠にいきなりガイの所に行くように言われたんだって」
「多分そうなんだろうとペールと今日話していたところだ」
「そっか。ティアはそれ以上何も聞かされていないって。こっちでの生活や、周囲のことをたまに教えてくれればそれでいいから、って言われたんだって」
やはりな、とアッシュは緩く息を吐いた。あえて何も知らせないことで見たまま感じたままと報告させようとしたのだろう。
実の妹へ妙な負担をかけたくなかったのか、それとも他に真意があるのかはわからない。
「ティアはそれが凄くショックだったんだ。将来ヴァン師匠の力になりたくて神託の盾騎士団に入るためにずっと努力してた」
「そう、か」
アッシュはティアのことをヴァンの妹としてしか認識していなかったが、ティアも一人の人間だ。人間の数だけ生きる目的や将来への考えがあって当然だと言える。
そこでルークは言葉を切った。ぎゅう、とアッシュの服を握りしめる。
「ルーク……?」
「ア、 アッシュ……。ティアの家族はヴァン師匠しか、いないんだ」
ティアが物心ついた時、すでにヴァンだけが血の繋がった者だったのだとルークは聞いた。
その唯一の兄であるヴァンに真意も知らされず突然身柄を預けられると考えれば、戸惑わない訳がない。
「確かヴァンはガイの騎士になるはずだった……。そうかホドの崩落であいつの家族も」
「そ、そう……ホド……! ホドは、ホドは……魔界に沈んだんだって……!」
「魔界?」
何かの比喩かとアッシュは思ったがルークが再びカタカタ震えだしたことで、例え話などでなないのだろうと感じる。
「ゆっくりでいいんだ。ルーク」
「うん、うん」
そこからルークは感情がぶり返したのか所々涙声にアッシュに伝えた。
今ここにある大地は宙に浮いている外殻大地というものであること。
本来の地表は障気が満ちる到底人が生きていく環境ではなくなっていること。
そして、ティアとヴァンは魔界と呼ばれる世界にある唯一の街で育てられたらしいこと。
ティアから聞いた全てはルークのみならずアッシュを絶句させるに余りあった。