それ以降、アッシュは取り立てて何も変わった様子は見せなかったが、何もないわけではない。
それを感じ取ったのはルークだった。
避けられてはいない。会話もしている。
いつもと同じように朝食を食べ、顔を合わせて勉強し剣術の鍛錬に励む。ナイマッハとして動く時も一緒に行動し、夕食後就寝の挨拶もちゃんと交わして眠りにつく。
しかし、何かが違った。
(なんだろう。アッシュが遠い……?)
こんな感覚は初めてだ。すぐ近くにいるのにアッシュのことがわからない。
そう思うとルークの胸は、つきん、と痛んだ。
(寂しい)
まるで昔ファブレ邸にいた頃、ひとりきりで過ごした夜のように心もとない、頼りない気分になってしまう。ルークは徐々に元気をなくしていった。
それに深い溜息をしたのはガイだ。そのガイの前にはアッシュが立っている。ガルディオス邸に馳せ参じているペールへ届け物をしに来た所をガイに捕まえられたのだ。
「アル、もう少し言葉にしてやった方がいい。じゃないと、失っちまうぜ」
「……あぁ」
「嫌そうな返事だなぁ」
「わかってはいる。いるんだが……」
アッシュもまた動けずにいたのだ。自分から変化させてしまったものを、どうするべきか判断しかねていた。
必要以上にゆっくりとナイマッハの屋敷に戻ると、ちょうど入れ替わるようにルークが出て行こうとしている所だった。大した荷物もなく、ほぼ手ぶらに近い。アッシュに気付いたルークは嬉しそうに、でも少し力の抜けたような儚い笑みを向ける。
(そんな顔をさせたい訳じゃねぇのに)
「アル、おれ、ちょっとジェイドの所に行ってくる」
「ジェイド?」
「うん。響律符用に頼んでた譜石の加工できたんだってさ」
受け取りに行くということらしい。何か返事があるかと少しだけ待ってみたルークだったが、特に何もなさそうだと気付いてすっとアッシュの横を通り過ぎた。
「行ってくるよ」
「あぁ……」
この微かな違和感が今の全てだった。
(どうしてこうなっちゃったんだろう。ううん、あの日からだから、理由はあれだよな。もっとちゃんと考えなくちゃ)
ルークは実の所あの日からずっと考えている。それでも考えは一向にまとまらず考えれば考えるほど逃げていくようだった。
ぐるぐると思考している間にジェイドの執務室に着いてしまった。気分を変えるように一度大きく息を吸ってから入室すると、ジェイドが姿を認めて机の引き出しに手を掛けつつ立ち上がる。
「あぁ、来ましたね」
「来たなぁ」
やはりというべきか想像通り当然のようにピオニーがいた。
「お邪魔します……」
「いや、呼んだのはジェイドだろう。気にするな!」
からからと楽しそうに笑うピオニーに笑いかけたつもりのルークだったが、失敗したらしい。ピオニーが驚いたような表情を浮かべた。
「お? なんだ、元気ないな? ルル・リュシアン」
「あ、いえ、そんなことない、です」
「ふぅん……?」
しどろもどろ返事をしている間にジェイドが手に掴んだものをすっと差し出してきたので反射的にルークは受け取った。
手に乗せられた二つの譜石に目を奪われる。
「わ……」
とても綺麗だった。元々綺麗な赤い譜石だったが、加工されたことでより輝きを増した気がする。内側が光っているような気さえする不思議な輝きがあった。ルークにはちっともどんな効果があるのかわからないがびっしりと細かな模様がある。
「ジェイド! ありがとう!」
喜びを全面に出してジェイドに礼を言うとジェイドはにこりと笑んで頷いた。礼は受け取ったということだ。
「ルル達は剣士ですから台座は剣帯装着用にしてもらいなさい。一番身に付けやすいでしょう」
「うん! これで本当に響律符にできるんだ。すごい。どんな効果があるんだ?」
「秘密です。身に付けているとわかりますよ。楽しみにしていてください」
えぇ、と驚きの声を上げたルークだったがそれはそれで面白そうだなとも思う。
成長するに従ってどんな効果を持つ響律符かわかっていくというのは楽しみだ。
「あぁ、あと効果を得るためには基本的には常時装着することも必要ですのでアルにも伝えておいてください」
「あ、あぁ……うん」
「おぉーいいじゃないか! お揃いだぞ。って、全然嬉しくなさそうだなぁ」
立ち上がってジェイドの横に立っていたピオニーが首を傾げた。アルの名前が出た瞬間にルークが目を伏せたからからだ。
はっとしたルークは顔を上げて笑おうとしたが、やはり今度も失敗した。ゆるゆると視線が下がっていく。
ん? と、ピオニーとジェイドが目を見合わせる。
「気に入らなかったのか?」
「あっ違っ、違うからな、ジェイド!」
「わかっていますよ」
「いや、しかし本当にどうした? 何かあったか?」
う、とルークから呻きが漏れた。
元々隠し事ができるような性格をしていないのだ。ぎゅっと譜石を握ると硬質な音が小さく鳴ってそっと開いた。輝きを増した二つの欠片はアッシュとルークのことを詠まれた譜石だ。イオンやシンクと出会えたきっかけでもある大切な譜石。それをアッシュと二人で持ちたくて、ジェイドに無理を言って譜を刻んで貰ったのだ。
依頼した時と何も変わっていない。
では、変わったのは何なのか?
それさえわかれば前に進める気がするのに、と息を小さく吐いて、思いついたようにふとジェイドに聞いた。
「ジェイド、おれがアッシュを好きだって思うのはレプリカだから?」
「はい?」
「レプリカにはそういう特性あったりする……?」
不安げに目をゆらゆら揺らすルークは、今この場でアッシュと呼んでいることすら頭にないようだ。常に注意深くアルという呼称を使用しているがそれが頭から飛んでいる。ここがジェイドの執務室であることも大きい。
突然すぎる問いに一瞬間を置いたジェイドだったが気を取り直して口を開いた。
「そういう刷り込みをすれば可能です。しかしルーク、貴方はアッシュの話を聞く限り必要最低限の刷り込みさえ施されていなかったはずです。本当の所はわかりませんがね」
そう、と返事をしたルークの顔はやはり晴れない。
「レプリカだからといって無条件に被験者に惹かれはしません」
「じゃあ俺がアッシュを好きって思うのは、どういうこと?」
「……それを、私に聞きますか」
「ぶはっ! あははは! 面白いなー! お前ら! ルーク、そういう話なら俺としよう。な?」
真剣なルークと眉を顰めるジェイドを見かねてピオニーが堪らないとでも言うように笑い出した。
くつくつと口の中で収めきれない笑いを噛みつつピオニーがルークの肩に腕を回してぐいっと引いた。
「わっ、陛下?」
「いやー成長っていうのはこういうことを言うんだなぁ!」
「……成長、あぁ、これも成長に入りますか」
ふむ、とジェイドは腕を組んで考えた。確かに成長だろう。
「突然どうしたんだ、ルーク。お前最初からアッシュのこと大好きだったじゃないか。何か変わったか?」
「変わった……変わった? ううん、おれはずっとアッシュが好き……」
ピオニーの問いに答えると言うよりも自分の気持ちを整理するように呟く。
(好きな気持ちは一緒なんだ。でも、なんだろ、なんか違う)
でもそれが何なのかはまるで掴めない。形なんてないように思えた。
「何か違う気がするんです」
「ふぅん?」
「でも、わからない……」
じっと前を見て考え込むルークを覗き込んでいたピオニーは青い目をきらっとさせた。いいことを思いついた、と言わんばかりだ。
「大丈夫だ。ルーク」
「え」
「どーんとアッシュにぶつかってこい!」
なんだそれは、とジェイドが内心呆れている間にもピオニーはルークの正面に移動し両肩を掴んで力説している。
「そうだ、今から行ってこい。いいか、アッシュを見つけたらとりあえず抱きつけ。遠慮するなよ、しっかり前からだぞ! それでじっとアッシュの目を見るんだ」
「え、え、え?」
「そうしたら、わかる! さぁ行ってこい!」
くるりと掴んだ肩を反転させて背中をぽんと叩いて扉から押し出した。
「……陛下」
「ふっふー、次アッシュに会うのが楽しみでならんな!」
悪戯を仕掛けご満悦な大人と、頭が痛いと言わんばかりに額に手を添える大人が残された。