「そ、れは……どういう……?」
ガイが擦れたような声を出した。ガイにとって国同士の争いは幼い頃家族を失うこととなったものだ。平静などではいられなかった。フローリアンは声こそ発しないもののぐっと眉に力いれた。
この場にナタリアはいない。避難した街までは行動を共にしていたが白光騎士団と共にバチカルへと戻っていった。途中まで護送していたマルクト兵からは無事にキムラスカ領へ入ったと報告があがっているため間違いない。
「争うことの大義名分もしっかり文書にされてきたぞ。まず前提としてナタリア王女はインゴベルト王の血も、王妃の血も、引いていないそうだ」
アッシュとルークの目が最大まで見開かれ唇が戦慄く。そんな馬鹿なと、ひゅっと息を吸った。本物のナタリア王女と入れ替わり王を始め民を欺いた罪で処刑するという内容が含まれており、ピオニーは危険を顧みずアクゼリュスの民を救った一人であるナタリア王女を確かな調べも行わぬまま刑を執行するなど賢い選択ではない、と声明を送り返した。
我が国の恩人たる者だと言葉を添えてだ。
そうしたところ、ルークを弑したものが何をいうか、という憤怒も顕わな言葉と共に開戦通知が突き付けられたのだと言う。
(……ルークが? 死んだから?)
(存在もしないものをきっかけに戦争するだと?)
「アスラン。アクゼリュスには確実にルーク殿は来ていなかった。そうだな?」
「はい、陛下。そのことはナタリア殿下が一番ご存じです。偽姫として処刑することでそのことを口封じするつもりでしょうか……」
「いや、どうやら本当にナタリア王女は王家の娘ではないようだ。厳正に調べた結果本物のナタリア王女の遺骸が発見されたと。生まれた時には息をしていなかったようだな。新生児の頃に入れ替わったという罪だが馬鹿馬鹿しいことだ。生まれたての赤ん坊が自分の意思でそんなことできる訳がない。……ったく、モース大詠師はインゴベルト王に言うタイミングをずっと図ってやがったな。あの狸め……」
ナタリアとして育てられた者は偽物である、ということはローレライ教団モース大詠師の名の元認められた。
「ピオニー陛下。ナタリア王女が偽物であるということは我が国においてはさほど重要ではありません。戦争の名目はルーク・フォン・ファブレを我が国に弑された、そういうことですね?」
「まったくもってその通りだ、ジェイド。濡れ布で戦争など起こされて堪るか。俺は抗議する。モース大詠師にもな」
ピオニーはぎりりと椅子を掴んだ。顔はいつものように人好きするような表情はなく青い目の奥には冷たい炎があるようだった。ピオニーは望んで王座に就いた訳ではないが自国のことを誰よりも大切に思っている。
「導師に確認したい。モース大詠師、ひいてはローレライ教団に対して我が国は正式に抗議を行うが、ローレライ教団としてはどうなさるおつもりだ?」
フローリアンはすっと背筋を伸ばす。
「ローレライ教団の名の元での行動としてモースは正式な手続きを行っていない。教団員には立場に応じて自由裁量がありますが、一国の大事、さらには戦争に結び付くことを導師たる私の裁決を求めず行っている。権を越えた振る舞いでありこれはローレライ教団としても看過できません。マルクト帝国からの抗議は甘んじて受けましょう」
凛とした声が響いた。今この場で導師イオンの言葉は大きく状況を左右するとわかっているのだ。ピオニーの目が一瞬だけふっと和らいだ。
(フローリアン、導師イオンというものをよく理解している。本来の性格でないものを矛盾なく演ずる、か……。頭の回転がよくないとできないことだな)
瞬く間にまたもや目には炎が宿った。
「追って沙汰する。みな下れ」
すっと頭を垂れながら、ルークの心臓は痛いくらい早鐘を打っていた。
息が苦しいほどに。
足早にナイマッハの屋敷まで戻ってきたが、混乱した頭では道中の記憶が定かではなかった。確かに足を動かしていた自覚はある。だが城を辞してここまで戻って来たと言うのに気付いたらもう屋敷であり、ルークはぶるりと震えた。
歩き慣れた道を考え事しながら歩いていたらいつの間にか目的地についていたという現象は経験があったが、それとはまるで違う。
地に足がついていないような、意識が頭の中ではなくふわふわと宙に浮いているような感覚がする。
「ルル様? いかがされましたか? 顔色が優れないようですが……」
出迎えた使用人が心配そうに声をかけてくるが、とてもではないが大丈夫と返事をすることなどできなかった。口を開こうとしても唇さえ震えてしまう。
「あぁ、気にせんで良い。初めて行軍し戻って来たのだから、思う所もいろいろとあろう。しばらく放っておいてやりなさい」
奥から歩いてくるペールの声を聞いて使用人がはっと口を押さえて痛ましそうな目を一瞬向けて頭をさがっていった。
「ペー、ル……お祖父様……」
「……今は何も聞かん。休みなさい。アルもだ」
「そうさせていただきます。あぁ、伯爵がお祖父様をお呼びでした。明日でも良いとは仰っていましたが」
「ガイラルディア様が? ふむ……お顔を拝見して来ようかの」
一言二言会話を交わし、足を引き摺るようにして自室を目指した。
(絨毯ってこんなに歩きにくかったっけ……)
絡めとられそうだと思うのは気持ちの問題だと思うものの、とてつもなく歩きにくかった。躓いてしまいアッシュに腕を取られる。
「ルル、しっかり歩け」
「う、ん、そうなんだけど……おかしいな……」
「体調が悪いのか?」
「いや、身体は大丈夫……」
そうか、と呟いたアッシュの顔には表情がなかった。
(あぁ、アッシュも……。そうだよな、普通でいられるわけ、ないよな)
ふわふわと浮付いたまま自室に入り、軍服を脱ぎいつも屋敷で着用している服へ着替えるとようやく人心地つくようだった。ふぅ、と息を吐いていると扉が小さく叩かれて使用人の声がする。入室してきたのは先ほど出迎えた者だ。
飲み物を運んできている。確かに喉が渇いていると思い並べてもらった。
特に何も言わず、いつも通り綺麗にセッティングして退室していく。
暖かい湯気をあげるカップを手に取り一口含むと飲みなれた味と香りがふわっと広がった。
「おいしい……」
気付いていなかったが、指先が冷えていた。一度ソーサーに戻して、カップを包むようにしてみるとじわじわと暖かさが指に移ってくる。
目の前で指を握って、開いてを繰り返していると指の腹に赤みが戻って来た。
同時に浮いていたような意識も徐々に落ち着いてくる。
「少しは、落ち着いたか?」
はっと前を見ると向かいに座ったアッシュがじっとこちらを見ていた。へな、とした笑いが出る。
「うん、ちょっとだけな。全然、元通り落ち着いてなんてないけど」
手を膝の上に置いてじっとアッシュを見返すと、すっとアッシュから視線が外された。
「アッシュは?」
「平気だなんて言えるかよ」
「うん」
キムラスカ・ランバルディア王国はルークを亡き者とした。その事実はずしりと重い。
国を飛び出してきておいて何をと思うものの、そう感じることが全てだ。
「ファブレとしてのおれ達は、もういないと思うとなんか……変な感じだ。マルクトで暮らしているのにおかしなことだと思うけど」
アッシュが静かに頭を振る。
「俺達の今なんてキムラスカには知られていないはずだ。知られていて裏切りの代償として存在を消すのならわかる。このタイミングは意図を感じる」
「意図……?」
「考えてみろ。アクゼリュスには素知らぬ顔で『ルーク』を送ったんだ。キムラスカはずっとルークがいないことを隠してきた。そして今ルークは死んだと、そう言う……」
アッシュの声がルークの頭を巡る。影武者さえなく、言葉だけでルークという存在はアクゼリュス行ったことになっている。そこで失われるものなどあるはずがないのだ。
ならば、失わなければならない理由があったはず。さぁっとルークの頭から血の気が引いた。その様子を見てアッシュもまた頷いた。
「……俺の秘預言だな。『ND二〇一八ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。そこで若者は力を災いとしキムラスカの武器となって、街と共に消滅す』。これをどうしても現実にしたいんだろう」