どうにもこうにもならないということは、無数に転がっているもので。
避けて通ろうと思っても、それは突然現れることが多く、また分かっていたとしても避けることができるのは稀だ。
多くはその場に直面して初めてどうするかを考え、どうにかこうにか切り抜けるということになり、
そして大抵それは頭を多いに悩ませることであって、途方に暮れてしまうものだ。
――今のように。
「ちっ……閉じ込められたな」
「あ、あぁ……そう、みたい……だな」
アッシュがこの状態を生み出したような気がするがそれは懸命にも口にださないことにする。
そもそもの始まりはエルドラントで二人そろって床が抜けるトラップにかかり同じ所に落ちてきたことからだった。
顔を合わすなりアッシュが悪態をついてきたことにより、険悪な雰囲気になってしまい……
つい先ほどまでどっちが本当のルークだのどっちが本当の弟子だのなんだのかなり不毛な言い合いをしていた。
もう少しで本格的にどうにもならない喧嘩になりかけた時、唯一の出入り口(だったのだと後から気付いた)
から少なくない数に気配を感じ、二人してほぼ同時にその扉を見て、動いたのはアッシュが先だった。
なんと『雑魚が邪魔すんじゃねぇ!』と扉付近を遠隔操作超振動で崩し、塞いでしまったのだ。
人を――もしくはレプリカを――手にかけるよりもよほど良いとは思うが、
これによって自分たちは完全に閉じ込められてしまった。
「アッシュ……。どうすんだよ? 落ちてきたのは遥か上だし、あの扉は超振動でしか開けられないんだろ?
超振動を使ってる間はそこから動けねぇから、どっちかはどうしてもここに閉じ込められたまま、
ってことに……は……。あ、ならねぇか。今みたいに超振動で壊しちまえばいいんだな……」
思わぬ収穫だ。そうだ、超振動はものを分解できるのだった。
どっちが残るとかそんな争いは無意味だったとそう気づいて思わず力が抜け座り込む。
そしてぼんやり落ちてきた上を見上げた。
二人そろって落ちてくるあたり、アッシュではないが「ファブレ家の遺伝子」を呪いたくなる。
まぁ……自分の遺伝子に該当するものはアッシュからのものなので「アッシュの遺伝子」というべきか。
あぁ、でもこの表現だと、俺、アッシュの子どもみたいだな。
そんな今関係ないことをつらつらと考える。
分かってる。これは現実逃避だ。
早く師匠を止めにいかなくてはならない現状があると分かっているが、
いざアッシュと戦いまで発展しそうになった展開からこうも一転すると感情がついてこない。
アッシュもいまさら争いを起こすような素振りは見せなし、少しだけ休んですぐに皆を追いかけよう。
そうしようと心に決めてごろりと仰向けに寝ころんだ。
目を開いたままなので、視界の隅にアッシュの長衣が映る。
比較的近くにいるのは先ほど言い合いをしていた名残だ。
そのままそこに佇むアッシュは何を考えているのだろうか。
……体が重い、な。
あまり……時間が、ない。
「おい」
「……んー?」
「お前……」
アッシュがそのまま黙る。
なんだろうと思いアッシュを見るために首を右に向けて、目に入った自分の手に、あぁ、と思った。
また、透けてしまっている。
アッシュの視線もそこに注がれていた。
「……それはどういうことだ」
重い声にこたえるように上半身を起こして座り、ゆっくり明滅しているような手を見る。
あんまりアッシュに知られたくはなかったけど、見られてしまってはどう言い訳をしても無駄だ。
「もう……時間がないんだ」
「時間がない?」
「俺はもうすぐ、消えちまうんだってさ。この体はもう第七音素がまったく足りてない……
乖離、するんだって。最終的には俺はアッシュに戻るらしい」
アッシュがまさか、と呟いた。
「大爆発が起こるのは、てめぇじゃなく俺のはずだ」
「体力……やっぱり落ちてるのか……?」
大爆発のことを知っていたのかと苦々しそうに問われたので、ジェイドから聞いていると答えた。
「俺は消えたくない。生きていたい。でも……それは無理だ。
……俺が消えたあとも、お前の中に記憶を残しちまうのは申し訳ないと思ってるけど」
「……何?」
「アッシュの中に俺の記憶が残るって。俺はいなくなるけど、記憶だけ……」
そう言うと、アッシュは俺の首元の服を掴んで引っ張った。
「どういうことだそれは! 俺が得た情報では、オリジナルは……レプリカに上書きされて消えるはずだ」
スピノザから得た情報のことだろう。
ジェイドがアッシュは勘違いしているだろうと言っていたが本当にその通りだった。
苦しかったが、その態勢のまま首を振る。
アッシュはそれを受けて苦々しい顔をし、口を開きかけたがすぐに閉じた。
俺の持っている情報はフォミクリー発案者であるジェイドから得たものだ。
そちらのほうが正しいと理解してしまったのだろう。
俺たちにはどうすることもできない事象だ。いやでも受け止めるしか、ない。
間近で見上げるアッシュの顔はどうしようもなく複雑そうだった。
「ごめん、な。……アッシュ」
「うるせぇ、謝んじゃねぇ……」
苦しめているのだと思うと、どうしようもなく辛い。
アッシュに腕を伸ばす。
なぜそんなことをしたかと問われても、分からないとしか答えようがないが、アッシュに触れたかった。
アッシュの両腕の下から手を差し込んで、腕を回す。
そうして引き寄せて、アッシュの胸に頬を付けたが、アッシュは不思議と何も言わず、
また跳ね除けるようなこともしなかった。
したことといえば首元を掴んでいた手を離した、ただそれだけ。
……俺はもうすぐアッシュに還る。
そうしたら、こうして触れることも、できなくなる。
そのことが無性に悲しかった。
「聞こえてんだよ、馬鹿野郎が……」
俺から回線は繋がらないのに。
……俺達の境界が曖昧になっているのだろうか。
俺の目から落ちた滴が、アッシュの服に吸い込まれて消えた。
ああ、お前に溶けてしまうことこんなに……。
2011、7・3 UP